国内サミットの開催年は、総選挙の「当たり年」!

議事堂
「解散風」が吹き荒れる衆議院。2008年洞爺湖サミットに出席する首相は、果たして誰?
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「サミット解散の法則」の根拠は、日本で過去サミット(主要国首脳会議)が開催された年には、いずれも解散総選挙が行われたという事実にあります。理由は、「与党が、国際的に注目を浴びイメージがアップしたところで選挙をやりたい!と考えるから」というのが、永田町界隈のもっぱらの噂……(2007年11月11日付スポーツニッポンより)。

過去を振り返れば、国内で開催されたサミットは4回ありました。その歴史をたどってみると……。

1979年:東京サミット後に、「一般消費税解散」!

国内初のサミット開催は1979年6月28~29日、東京にて。折しも、第2次石油危機の勃発で、先進諸国のエネルギー情勢は超深刻! こうした状況を反映し、サミットでも石油問題の議論が半分以上を占めました。一方、当時の大平(正芳)内閣は、財政危機を救おうと一般消費税の導入を画策。そのせいか、自民党は、10月の第35回総選挙で過半数を割り込み、敗北! 大平首相はその翌年、史上初の衆参同日選挙の遊説中に倒れ、帰らぬ人となりました。

1986年:「ロン・ヤス」サミットの後、「死んだふり解散」!

86年5月4~6日のサミットは、再び東京で開催。「ロン」(アメリカのロナルド・レーガン大統領)と「ヤス」(中曽根康弘首相)の蜜月関係の下、インフレなき経済成長・貿易自由化の推進などについて合意をみました。一方、7月に行われた第38回総選挙で自民党は、3公社改革(国鉄・電電公社・専売公社の民営化)が評価されたのか、歴史的圧勝! 一方の旧社会党は、結党以来の惨敗! この選挙は、議員定数の是正に当たり首相が周知期間を設け、解散は日程上無理だと思わせたまま衆参同日選挙に持ち込んだため、「死んだふり解散」と呼ばれました。

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