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【日本の「ごう慢さ」が和平を逃した】
和平相手を「否定」した日本政府
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当初、日本政府は非武装地帯の設定や親日政策の実施、関税の引き下げなど7項目をドイツ側に提示しました。ドイツからこの和平条件の提示を受けた中国は1ヶ月沈黙します。ヨーロッパ列強によるブリュッセル会議で日中戦争がとりあげられるかどうか見守っていたのでした。
しかし、ブリュッセル会議では中国が期待したような対日制裁などは話し合われなかったため、中国は日本の和平案受け入れをやむなしとし、その旨日本側に通告してきました。
ところが、その1ヶ月で戦況は大きく変化していました。すでに日本軍の南京攻略がはじまっており、南京陥落まじかと見ていた日本政府は、最初の和平案では要求が軽すぎると考え、さらに過大な要求を突き付けることにしたのです。
過大な要求とは、満州国を国として承認し(これは反永久的に満州が中国の領土ではなくなることを意味する)、戦争の賠償をせよ、というものでした。
困惑の中、中国側は一応検討し、要求の詳細を知らせるよう日本に通告してきました。しかし、これを中国の「誠意のない引き延ばし」と一方的に判断した日本は、和平交渉を打ち切ることにしたのです。
そして、政府は「爾後国民政府(=国民党率いる中国政府のこと)を対手(あいて)とせず」という声明を発表、中国政府といっさいの交渉を止めることを宣言するのです。こうして早期和平のチャンスはなくなってしまいました。
これ以降、ゲリラ化した中国軍を相手に、日本は戦争目標の見えない、泥沼の戦争を戦っていくことになるのでした。そしてこれが日本の国力を消耗させていったのです。
日中開戦から4年半後、日本はアメリカに宣戦布告し、太平洋戦争を同時に戦うことになります。しかし、片足で日中戦争という泥沼にはまりこみこみながら、世界一の工業国と戦争したわけです。なんて無謀な決断だったのでしょうか。