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日中戦争にみる政治の失敗

日中戦争がなぜ長期化してしまったのか。そこには日本政府による外交のまずさがありました。ドイツまで仲介に出ながら早期和平を逃した日本外交とは。

執筆者:辻 雅之


(2003.08.11)

1ページ目 【戦争目的がなかった戦争】
2ページ目 【日中仲介にうごいたナチス=ドイツ】
3ページ目 【日本の「ごう慢さ」が和平を逃した】

【戦争目的がなかった戦争】
中国を「懲らしめ」るために費やした8年間


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日中戦争は、なにかの目的のために戦われた戦争ではありませんでした。不思議なことに、確固とした目的もないのに、日本は戦争をだらだらと続け、アメリカとの関係を悪化させ、太平洋戦争を招いてしまったのです

日中戦争が始まった1937年当時、日本は中国の東北地方、当時でいう「満州」を事実上占領し(形式上は傀儡(かいらい)国であった「満州国」を樹立)、さらに他の中国領にも日本の傀儡政権をたてるなど、中国の領土を好き放題に蹂躙(じゅうりん)していました。

ですから日本では「中国などいつでもどうにでもなる」というごう慢な考え方が定着しており、日本軍の関心は中国よりもむしろ北方で軍事力を増していたソ連(現ロシア)にどう備えるか、ということにありました。

そんななかおこったのが廬溝橋事件でした。北京郊外の廬溝橋付近で一発の銃声が鳴り響きます。これを中国側のしわざとみた日本は、「思い上がった中国を懲(こ)らしめよう」と中国軍を攻撃、またたく間に北京などを占領してしまいます。

この「懲らしめ」はさらに際限なく続き、上海、そして当時の首都であった南京まで占領(ここであの「南京大虐殺」がおこる)、いつの間にか日本は中国全土に戦火を広げてしまったのです。

今からみるとなんとも不思議ですが、日本はあくまで中国を「懲らしめてやる」くらいなことしか戦争の目的がなかったのです。「懲らしめ」が戦争目的ですから、当初は1ヶ月くらいでカタがつくと軍や政府も思っていました。

ところが、中国軍は日本の攻撃に屈することなく抗戦しつづけたので、「懲らしめ」はなかなか終わりません。結局約8年、100万人以上の兵員を動員する泥沼の戦争に足を突っ込むことになったのでした。

なぜ日本は、日中戦争を早めに切り上げることができなかったのでしょう。

▼日中戦争勢力図
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