1ページ目 【アメリカとの関係が深いリベリア】
2ページ目 【2次にわたるリベリア内戦】
3ページ目 【アフリカ諸国の政情不安】
【2次にわたるリベリア内戦】
泥沼の内戦がつづき、疲弊するリベリア
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リベリアは、1970年代まで、人口比にして数%しかいないアメリカからの移民の子孫(アメリコ・ライベリアン)たちが、多くの先住民族を「支配」してきました。
それに対する不満を背景に、「クラン族」出身のドウが1980年に軍事クーデターをおこして政権を握ります。ここからリベリアの政情不安がはじまります。
やがてドウの出身民族であるクラン族支配がはじまり、他の民族は反発。1989年、今の大統領であるテーラー率いるリベリア国民愛国戦線(NPFL)が武力蜂起し、最初の内戦がはじまります。
この内戦でドウは殺害されますが、NPFLの分裂、旧ドエ派を基盤としたULIMO(リベリア民主統一運動、のちにULIMO-KとULIMO-Jに分裂)、ゲリラ化した旧国軍(AFL)らが入り乱れた泥沼の内戦はおさまりませんでした。
1996年にようやく和解(アブジャ合意)が実現するまで、およそ10万人以上が犠牲になったといわれています。経済的な打撃もそうとうで、GDP(国内総生産)も、半分以下にまで落ち込んでしまいました。
内戦が終わり、1997年の大統領選挙でテーラーが大統領に就任するものの、彼の強権的な政治がはじまってしまい、2002年にリベリア和解民主連合(LURD)が武装蜂起。いったんは鎮圧されたものの、今年になって盛りかえし7月には首都モンロヴィアを包囲。包囲された首都は食糧危機や疫病のまん延が深刻化しはじめているとのことです。
この状態に、リベリアと因縁深いアメリカが介入しようとしています。イラクに多くの部隊を展開しているアメリカに、リベリアにまで介入する必要性がどこにあるのでしょうか。次のページでみていきます。