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中東の悩みをもろにかぶるヨルダン王国(2ページ目)

イラク戦争の取材拠点となったヨルダン。毎日新聞記者事件など、なにかと話題になりながらあまり知られていないヨルダンの基礎知識をわかりやすく解説していきます。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【ヨルダンの国名、由来はサウジアラビアと同じ】
2ページ目 【イラクとヨルダン、むかしはほんとの兄弟国だった】
3ページ目 【八方美人にならざるを得ないヨルダンの事情】

【イラクとヨルダン、むかしはほんとの兄弟国だった】
イラクとヨルダンの初代国王はほんとの兄弟だった


こちらも要チェック! 政治についての基本知識と基本用語

イラクもむかし、ハッシム家による王制がしかれていました。一時アラブには、ハッシム家の王朝が3つもあったのですね。

もともと、第1次世界大戦の時代、トルコの支配を受けていたこの地域で、メッカを治めていたハッシム家のフセインという人が野望家で、トルコの敵国イギリスと「フセイン=マクマホン協定」というのを結んで、将来のアラブ国家建設を約束させます。つまりは、フセインは自分がアラブの王となろうとしたのですね。

ところが戦後、イギリスが戦争協力のためユダヤ人にシオニズム運動(イスラエル建国)を約束していたことが判明。怒るフセイン大公をなだめるために、子どもたちをイギリスの委任統治下でそれぞれイラク・ヨルダンの国王とします。

このときイギリスはパレスチナが将来紛争地域となることをおそれ、パレスチナとヨルダンを分割します。ヨルダンって、こういう経緯で生まれてしまったのでした。

その後、フセインは野望を抑えきれず、ヨルダンの南側にヘジャーズ王国を作り「アラブ王」を名乗りますが、ナジド王でのちのサウジアラビア建国者、イブン=サウードと対抗して負け、その後ヘジャーズ王国はサウードに征服されてしまいます。

というわけでイラクとヨルダンがハッシム家の王朝として残り、独立を果たします。

しかし、イラクでは革命が起き、王朝は消滅、やがてバース党→フセイン政権の時代へと移っていくわけです。

で、いま名門ハッシム家の血を引く王朝はヨルダンだけ。それを「ヨルダン=ハシミテ王国」として強調しているのでしょうか。

ヨルダンはまたアラブでは「親米国」として知られています。イスラエルとの和解を果たしたことも、さきほどのページで紹介しました。日本記者の今回の不手際についても驚くほど寛容。こんなヨルダンの事情を、次のページで考えてみます。

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