庶民の味方のはずが……ジョセフ・エストラーダ
フィリピンの元大統領であるジョセフ・エストラーダも、俳優から大統領になった有名なタレント政治家です。エストラーダはフィリピンの首都・マニラにある貧民街であるトンド地区で生まれ育ちました。しかし生まれた家は貧困層ではなく、中流家庭であったと言われています。若い頃は大学を中退するなど不安定な生活をしながらも、俳優としてのキャリアを積んでいきます。そして30歳を過ぎてから、政治の道にも入っていきます。まずは1969年にメトロ・マニラのサン・ファン市の市長。それから1987年には上院議員。そして1992年には、副大統領候補として大統領選に出馬します。この時は敗れましたが、ラモス大統領政権の犯罪撲滅委員会の委員長に任命されています。
そして1998年、次の大統領選では、エストラーダは「庶民の味方」をアピールして当選します。すでにお話したように、エストラーダは貧民街のトンド地区出身なので、フィリピンの有権者も彼を信頼して票を入れたのでした。
しかしいざ当選してみると、エストラーダは権力を利用した汚職行為を繰り返します。例えば、フィリピン国内で違法なギャンブル場を運営している者から、その行為を見逃すための賄賂として日本円にして約10億円ものお金を受け取っていた事件などです。そのために国内にはエストラーダ大統領の辞任を要求する声が次々とあがり、そしてついには弾劾(だんがい)されてしまいます。
弾劾裁判では、在職中の女性問題なども多く浮上しました。「庶民の味方」「貧困の撲滅」をスローガンにして大統領に当選したエストラーダですが、自分自身が金と権力に溺れてしまったというわけです。
あのファシストの孫娘。アレッサンドラ・ムッソリーニ
「行動の自由」はその後「社会行動」と改名している。 |
ムッソリーニは10代の頃から女優として仕事をしていました。そしてそれだけではなく、雑誌『プレイボーイ』でヌードになって掲載されたこともあります。政治家としては、1992年にナポリを地盤として下院議員に立候補して当選。1993年にはナポリ市長に立候補しますが、この時は敗れています。
最初は「国民同盟」という政党に所属していたムッソリーニですが、当時副首相で同じ党に属するジャンフランコ・フィーニがファシズムを否定する発言をしたため、離党を決意。自らの政党として「行動の自由(その後社会行動と改名)」を結成し、現在に至ります。また2004年からは、欧州議会の議員にもなっています。なお「行動の自由」は今のところミニ政党に過ぎないために、ムッソリーニの実質的な政治的影響力は決して大きくありません。
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