1ページ目 【もともと「インドネシア」という国はなかった】
2ページ目 【オランダの侵略が生み出した「インドネシア・ナショナリズム」】
3ページ目 【「流血の島」から観光の島へ】
【「流血の島」から観光の島へ】
バリはまだ「観光地」として外国人たちのものなのか?
インドネシアは第2次世界大戦で日本に占領されていましたが、終結と同時にオランダ軍が帰ってきました。このオランダ軍と、「インドネシア共和国」独立を宣言するスカルノ大統領ひきいる独立軍とはげしい戦闘がおこります。
やがて、オランダはバリをはじめ各地にオランダの傀儡(かいらい)政権を立てて「インドネシア共和国」と連邦を組ませます。しかしスカルノは各地の政権を強引に合併していき、ひとつの「インドネシア」をつくっていったのです。
このとき、バリ島でも1950年代はじめまでインドネシア吸収に反対する勢力によるゲリラ戦が続いていました。アチェなど各地の独立運動なども、このときの強引な「統一」による反発・抵抗に端を発しているものが多いようです。
さて、しかしバリは、そんな政治的な「内乱」の場所としてではなく、世界の観光スポットとして注目されはじめめていました。すでに戦前、オランダを通してパリやニューヨークなどで「バリ島」ブームがおきていました。
イスラム教の島々に囲まれたなかで、独自のヒンドゥー文化をはぐくんできたバリ。その文化が、皮肉にもバリ人の血がたくさん流されたことによって、逆に征服者がわのオランダ人たちによって、世界にバリ独自の文化が紹介されるようになっていのです。
戦後、混乱のおさまったバリに、続々と外国人がおとずれ、バリは民族紛争とは無縁の大観光地として、繁栄をはじめるようになったのでした。日本でもここ数年、バリ旅行ってけっこう定番化してきてましたよね。
しかし、そんなバリ文化はさっきもいったように征服されたからこそ世界に紹介されていったということ。そして、そのなかで、いかにも欧米に「受けのいい」バリ文化が紹介されていったということ。このことは、忘れてはならないと思います。
そして今回の悲惨なテロ。ヒンドゥーの島でおこったイスラム過激派の爆弾テロだとしたら、なんか物悲しくなってきます。しかもその標的は先進国の人間たち。
バリが、本当の意味でバリ人のものになるのは、いつのことになるのでしょうか。
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