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インドネシアとバリ島の関係(2ページ目)

爆弾テロ事件であらためて世界的な大観光スポットであることがわかったインドネシア・バリ島。バリ島がなぜそんな島になったのか、インドネシアとバリ島の関係を簡単に説明します。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【もともと「インドネシア」という国はなかった】
2ページ目 【オランダの侵略が生み出した「インドネシア・ナショナリズム」】
3ページ目 【「流血の島」から観光の島へ】

【オランダの侵略が生み出した「インドネシア・ナショナリズム」】
インドネシアはオランダの「血の侵略」によってできた


やがて、イスラム教がインド方面より普及し、この地域は急速にイスラム教化していきます。それにともない、マジャパヒト王国は衰え、ジャワ島にはマタラム王国というイスラム王国が、北スマトラにもイスラム教国のアチェなどができ、他の地域もイスラムの諸王国に分裂していったのでした。

しかし、なぜかバリ島にはイスラム化の波はこないまま、独自のヒンドゥー文化をはぐぐむ諸王国がたちならぶようになったようです。

そんななか、やってきたのがオランダ人でした。植民地経営を行う「東インド会社」を組織し、諸王国を次々と侵略、保護国化したり、植民地化したりしていきました。

▼18世紀のインドネシア


そして、19世紀後半からオランダのインドネシア(当時は「東インド」)一体の侵略は加速していきます。バリ島も、1908年までにはオランダによって征服されてしまいます。

このとき、諸王国の王家は集団自決したり、あるいは祭りの衣装を着てオランダ軍に「特攻」するなど、壮絶な最後をとげたようです。いまの平和なバリのイメージからは程遠い、「血の征服」がおこなわれたのです。

オランダはこれでいまのインドネシア全土を支配。はじめてインドネシア(オランダ領東インド)として統一されます。これによってはじめて「インドネシア」という概念ができあがった、といってもいいでしょう。
「インドネシアを独立させよう」というナショナリズムも、ここにいたってはじめてうまれた気運だったのです。

▼20世紀前半に完成した「オランダ領東インド」
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