2ページ目 【オランダの侵略が生み出した「インドネシア・ナショナリズム」】
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【オランダの侵略が生み出した「インドネシア・ナショナリズム」】
インドネシアはオランダの「血の侵略」によってできた
やがて、イスラム教がインド方面より普及し、この地域は急速にイスラム教化していきます。それにともない、マジャパヒト王国は衰え、ジャワ島にはマタラム王国というイスラム王国が、北スマトラにもイスラム教国のアチェなどができ、他の地域もイスラムの諸王国に分裂していったのでした。
しかし、なぜかバリ島にはイスラム化の波はこないまま、独自のヒンドゥー文化をはぐぐむ諸王国がたちならぶようになったようです。
そんななか、やってきたのがオランダ人でした。植民地経営を行う「東インド会社」を組織し、諸王国を次々と侵略、保護国化したり、植民地化したりしていきました。
▼18世紀のインドネシア
そして、19世紀後半からオランダのインドネシア(当時は「東インド」)一体の侵略は加速していきます。バリ島も、1908年までにはオランダによって征服されてしまいます。
このとき、諸王国の王家は集団自決したり、あるいは祭りの衣装を着てオランダ軍に「特攻」するなど、壮絶な最後をとげたようです。いまの平和なバリのイメージからは程遠い、「血の征服」がおこなわれたのです。
オランダはこれでいまのインドネシア全土を支配。はじめてインドネシア(オランダ領東インド)として統一されます。これによってはじめて「インドネシア」という概念ができあがった、といってもいいでしょう。
「インドネシアを独立させよう」というナショナリズムも、ここにいたってはじめてうまれた気運だったのです。
▼20世紀前半に完成した「オランダ領東インド」