1ページ目 【軍部の独走がまねいた戦前、その反省は活かされているか?】
2ページ目 【日本の防衛に「核」は必要か?(1)】
3ページ目 【日本の防衛に「核」は必要か?(2)】
4ページ目 【自衛隊と「有事」】
[非核三原則(ひかく・さんげんそく)]つづき
当時の政府がこのような方針を打ち出した背景には、「沖縄返還」という事情がありました。沖縄は1972年までアメリカの統治下にあったのですが、アメリカが今でも基地として重視している沖縄の返還交渉は、結構難航していたのでした。
で、とりあえず沖縄の米軍基地をそのままにし、そして「そこに核があるかもしれないことは、あんまり考えないことにしよう」ということで結着したのでした。
当然、多くの人々が反発します。これをかわすねらいが、この非核三原則にはあったのでした。実際、この決議の時、この背景に反発した一部の政党は、非核三原則の決議のさい欠席しています。
さて、政府は「非核三原則の変更は憲法上問題ない」と思っているようで、現にそれで「政府首脳」による「見直し発言」がでてきたわけですね。専守防衛と核武装は相反しないのか。次ではその理論について解説していきましょう。
[専守防衛のための核保有理論(せんしゅぼうえいのためのかくほゆうりろん)]
「専守防衛でも核兵器は持てる!」という理論。この論拠としては、次の2つがあります(もっとも、日本が加入している「核拡散防止条約」を脱退しないと、国際法的には核兵器は持てないことをはじめにおことわりしておきます)。
(1)「恐怖の均衡理論」。おたがいの国が核兵器を持っているということで、「使ったら使われる」という状態になり、結果的に戦争を回避できるという理論。
(2)「核兵器防衛理論」。核兵器が万が一飛んできた場合、これを確実に消滅させるには核兵器しかないという理論。化学兵器や細菌兵器に対しても同じようなことがいわれます。
(1)については、いっけん正しいようで、アメリカとソ連が冷戦状態であったときは、この理論の正しさがよく主張されていました。
しかし、今日本が核兵器を持てば、中国や韓国、北朝鮮などが対抗上核兵器を開発することを許すことになる。恐怖の均衡どころか、「恐怖の拡散」になる可能性は十分あります。
また、「冷戦のときには『恐怖の均衡』がなりたっていた」といいますが、はたしてそうだったのでしょうか。1980年代、アメリカが打ち出したSDI計画(宇宙空間でのレーザー光線攻撃で核兵器を打ち落すというもの。これによって、アメリカの核先制攻撃が可能になる)が発表されたとき、ソ連にはこれに対抗する経済力はありませんでした。このとき、「均衡」はくずれ、ソ連は冷戦に終止符を打たざるを得なかったのです。
つまり、「使う」ことを前提にした核兵器を、「完全に使わない」均衡、バランスを維持し続ける、ということには無理がありそうです。
(2)については、たしかにそうなのですが、たとえば東京上空で核兵器を核兵器によって迎撃したら、東京に核兵器が落ちるよりは犠牲が少なくても、やはり相当な犠牲がでてしまうでしょう。核兵器を発射させない、という外交努力にまさるものはないのかもしれません。
相手の核兵器ミサイル基地や細菌兵器基地を核で先制攻撃する、というのは「専守防衛」としていかがなものか、という議論もでてくるわけで、そうとうピンポイントな攻撃のできる核兵器(被害が半径500M限定とか。そんなのできるのか?)がなければ、「専守防衛としての先制攻撃」を認めるにしても、人道上問題があるでしょう。
最後のページでは、自衛隊をめぐる用語と今話題の「有事」について、簡単に解説しておきましょう。