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あの「マキコ現象」は何だったのか?

電撃外相就任から電撃更迭、そして電撃辞任ととにかく騒動の主役だった田中真紀子前外相。いわゆる「マキコ現象」をふりかえりながら、今の政治状況を考えてみたいと思っています。

執筆者:辻 雅之


(2002.09.06)

1ページ目 【「マキコ現象」それは熱狂から始まった】
2ページ目 【All About Japanユーザー的「マキコ現象」とは(1)】
3ページ目 【All About Japanユーザー的「マキコ現象」とは(2)】


【「マキコ現象」それは熱狂から始まった】
「奇跡の女神」から「台風の目」へ


8月に議員辞職しながらも、いまだに週刊誌などを騒がせることの多い田中真紀子外相。このサイトでもいろいろ取り上げ、ずいぶん多くの反響をよんできました。

まずは田中真紀子氏の、小泉政権発足から議員辞職するまでの足取りを追ってみるころにしましょうか。

「あの田中角栄の娘」にして専業主婦だった田中真紀子氏。ユニークなキャラクターで無所属ながらみごと衆議院議員に当選した彼女を当初自民党は利用しようとしました。新人ながら科学技術庁長官に就任するなど破格の扱いを受けます。しかしその後は余りにも歯に衣着せない発言で、しだいに持て余されがちになってきます。

そんな彼女が一躍脚光を浴びることになったのが自民党総裁選でした。彼女が「変人」というくらいの強烈なキャラクター、小泉候補を強烈に支持したことは、当初の予想を大幅にくつがえす「小泉政権樹立」という「奇跡」の原動力となったのでした。小泉首相はただちに彼女を史上初の女性外相に起用します。

小泉首相の当初の意図は「人気取り」「功に報いる」「彼女のパワーで官僚のバックにいる族議員たちを粉砕する」「英語が堪能なので、外交には意外と向いているはず」など、さまざまなものがあったと思われます。

しかし、彼女はその後どうしても納得いかなかった「機密費問題」に徹底的にメスを入れようとして、外務省幹部と、そしてとうとう小泉首相サイドとも軋轢(あつれき)を起こすようになってしまったのでした。

彼女の大人気ない態度がよくなかったのでしょうか。あるいは、彼女くらいのキャラクターではないと何もできなかったのでしょうか。次のページでは、わがAll About Japanユーザーの目を通しながら考えていきましょう。

▼田中真紀子氏の動き(2001年)
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