小説の神様と言われる志賀直哉。彼が自ら設計した家が奈良県に保存されています。設計にあたった志賀直哉は、間取りから床の素材まで、細かく指示を出したのだとか。今回はこの住宅から、長く暮らせるヒントを探っていきましょう。

小説家が自ら設計した家

今回訪れたのは、奈良市高畑大道にある志賀直哉(1883~1971)の旧居です。現在は奈良文化女子短期大学がセミナーハウスとして管理していますが、一般にも(入館料350円)公開されています。志賀直哉は、言うまでもなく白樺派を代表する小説家です。「暗夜行路」や「和解」などいくつもの作品を残していますが、その「暗夜行路」を仕上げたのがこの奈良の家だったそうです。

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春日大社にほど近い屋敷町・高畑に志賀直哉の旧居はありました
この家は直哉自身が設計して、京都から有名な数寄屋造りの大工職人を呼んで建築したものです。昭和4~13年3月までの約9年間、家族とともに居住していました。一部二階建ての家は、435坪の敷地にゆったりと建てられた数寄屋風の木造家屋です。

様式にとらわれず自由に設計

外観を見ると、数寄屋風の感じを受けますが、中を見ていくと、和洋折衷であり、一部に中国風の味付けがされているなど、なかなか凝ったつくりになっています。

昭和初期に建てられた家なので、主な部屋の床は畳ですが、直哉の書斎や「高畑サロン」と言われたサンルームなどには、直哉の考えによってそれぞれ畳以外の床材が使われていました。

和洋を組み合わせた書斎

和風洋風といった様式にとらわれずに、自由な発想で設計された部屋の例としてあげられるのは、直哉の書斎です。この部屋は洋室で、板間にカーペットが敷かれていますが、天井は葦張りで、いわゆる数寄屋風。京都からこの家の建築のためにやってきた、数寄屋大工として有名だった下島松之助という棟梁が腕を振るった部分です。

和洋に中国風の装飾をした食堂


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来客も志賀家の子供たちも一緒に食事をしたという食堂。テーブルのほか、造り付けのソファも用意されていました
食堂も和洋中を取り混ぜた例と言えるでしょう。食堂は約20畳ほどの部屋ですが、志賀家には文人や画家が常に集っていたそうで、彼ら来客と、志賀家の子供たちも交えて食事をしていたのがこの食堂だそうです。床は今で言うフローリングで、テーブルに椅子で食事をする洋風スタイルですが、建具はどこか和風の雰囲気を残しています。そして、天井の造作はなんとなく中国風の感じですね。

モダンなつくりに和を加えたサンルーム

文人や画家が常に訪れていたというサンルームは、別名「高畑サロン」と呼ばれていたほどにぎわっていた場所です。部屋に入ると、全体的にはモダンな印象を受けますが、特別に焼かせた瓦の床と、数寄屋風の造り、太い梁など、和の要素がプラスされています。そのうえ、トップライトから光が降り注ぎ、居心地もなかなかいいのです。このトップライトは、現在では透明のトタンになっていますが、建築当初はガラスだったそうです(写真は次ページに掲載)。

このように細部にわたって、志賀直哉のこだわりがいかされ、凝ったつくりには感心させられます。

さて、次のページでは、間取りについて私が感じたことを紹介していきましょう。