年をとるとなぜおめでたいのですか? お正月の挨拶のきまりになっている、 「あけましておめでとう」はなぜおめでたいのかと問われると、あまり考えたこともなく答えに窮します。 最近は自分の年齢を満いくつと「数え年」を言う人は、ほとんどいなくなりました。でも、自分のおじいさんが数え年と満いくつと二通り言っていたのを覚えている方はいませんか?数え年と満年齢がどのように違うのかを考えてみると、個々の誕生日を基準とする満年齢が個人主義的な時間観念であるのに対し、数え年というのは年始から年末までの一年という時間をすべての人が共有するということから生まれています。 満年齢は誕生日の0歳から死に至るまで数直線的に年齢が経過していき、長い物差しの上に一つ一つの刻みをつけていくようなところがあります。 これに対し数え年では時間は直線ではなく団子のような固まりになっています。一年という固まりです。人間は一年ごとに一つの命をいただき歳をとるということです。 こういった考えはもちろん生活にも様々な影響を与えてきました。神棚を掃除してお祀りするお札を新しくしたりします。(もっとも近年は神棚のある家も少なくなってきましたが・・・) 我々の先祖は稲を自らの生命の根源(イネとはイノチの根という説)と信じ、稲にみられる一年毎の生命のサイクルを基準として人間生活の生命のサイクルもこれに同調したわけです。その中から生命観や時間観を構築して、今日に伝えてきました。 |