恋愛体質≠男好きではない!
なぜか自分は、「恋愛できない」と思い込んでしまう人は多いけれど、意外と間違いだったりする。恋愛依存しなくても過剰に男好きじゃなくても、「恋愛体質」は高められる! |
でも、恋愛は楽しい。苦しいし、やっかいだけど、すごく面白い。
恋愛小説の名手である某女性作家さんと飲みながら、そんな話をしていたところ、「恋愛体質って、そういう色欲のことを言うんじゃないと思う」という。
「人にトキめき、好きになる力はもちろん必要。だけど、何よりも、好きになった人に対するコミュニケーション欲求があることだと思う。恋人に限らず、友人でも家族でも、大切な人と深くまで関わりたい。ぶつかっても、分かり合えるまで話したい。たとえ、一瞬でも感情を共有したい、そこでカタルシスを得たいと思う。そういう人こそ、本当の恋愛体質だと思う」
ははぁと深く納得してしまった。ふわふわしたトキメキやSEXはもちろん、恋愛の美味しさだ。でも、その奥にある恋愛の醍醐味って、「ぶつかって傷ついても、お互いの領域に踏み込みあうこと」だったり、「たとえ分かり合えなくても、相手を知ろうとすること」だったりする。
恋愛に限らず、人間関係は近づけば近づくほど負荷がかかるもの。それでも、近づき理解することを諦めない想いこそが、「好き」ということなんだろう。
甘く楽しいだけの恋愛は、うすーい上澄み液のようなもの。恋愛は深くなればなるほど、傷や悲しみも絶望もくっついてくる。どっちも味わってこそ、恋愛の真髄--。
とはいえ、コレって頭ではわかっていても、腑に落とすのは難しい。過去に傷ついた経験が心身に染みついていると、なおさらだ。つい分かったフリをして、反射的に逃げてしまう--。
分かり合おうとする熱さなくして「穏やかな恋」は生まれない
恋愛に臆病になって久しい“恋愛砂漠”の30女子たちは口をそろえてこういいます。「穏やかな恋がしたい」--と。たしかに、穏やかな恋って素敵だ。でも、はじめから穏やかな恋なんてあるの? 分かり合ってもいないのにぶつからない関係なんて、穏やかではなく、冷めているということなのでは?
「穏やかな恋がしたい」という何気ない言葉の奥には、「仕事も忙しいし、体力もないし、女としての自分に自信もないし・・・」みたいな想いとともに、「もう恋に振り回されて傷つきたくない」という消極的な思いがもっとも強くあるように感じられる。
その気持ちは痛いほど分かるけれど、「穏やかな恋を育むこと」と、「傷つくことを恐れて消極的になること」とは違う。さらに、相手を思いやることと、相手と距離をとることは異なるし、距離をとって安全圏にいる限り、決して深い恋愛にはたどりつけない。不器用でもゆっくりでも、根底に熱く真剣な想いなくしては、いい恋愛関係は育たないのだから。
傷つくことを恐れずに、恋愛したいと願うこと。恋愛が遠のきすぎているという人も、まずは錆び付いた「恋愛体質」を磨けば、きっと、カンが戻って来る。恋愛体質が「トキめく力」と「コミュニケーション欲求」のことならば、それは女性(人間)なら、誰の中にも眠っているものだと思うから。
でも、どうすれば、恋愛体質って高まるの。その方策は、次のページでお伝えします。