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地元料亭のおみやげから地元を代表する名物へ 内野名物『新川せんべい』

新潟市内野の名物というと、地元民の誰もが認めるのが『新川せんべい』。お椀型のユニークな形が特徴です。どうしてこのせんべいが作られることになったのか、その経緯を伺いました。

久須美 雅士

執筆者:久須美 雅士

コンビニグルメガイド

地元民だったら誰もが知ってる

私事ですみませんが、先日新潟市内野(うちの)に引っ越しました。地元マスコミで内野の話になると必ず出てくるのが、内野大阪屋の『新川せんべい』です(新潟市にはもう一社和菓子・洋菓子店の『大阪屋』があるので区別するために『内野大阪屋』と記す)。以前、新川せんべいについて内野大阪屋の方からお話を伺ったことがありまして、ずっとネタとして温めていたのですが、引越しを契機に今回紹介させていただく次第です。
新川せんべいのパッケージ


昔は工場城下町、今は学生の街

新潟市内野というと、地元では『学生の街』というイメージが強いです。朝夕、JR越後線の内野駅は学生でごった返します。学校は幼稚園・保育園から大学(新潟大学)まで全部揃っています。大学を卒業するまでの全部の学校を自宅から通うことができるという、親にとってはありがたい街です。

しかし、内野に新潟大学がやってきたのは1970年代初めでして、高校(新潟県立新潟西高校や日本文理高校)ができたのが1970年代後半から1980年代初めと、そんなに昔の話ではありません。かつての内野(1960年までは新潟県西蒲原郡内野町)は、日東紡内野工場(1943年から1957年までガラス繊維を製造)や三菱化成工業(1960年代半ばまで内野中学校脇にあった)などの大きな工場に働く従業員(日東紡だけでも1000人近くいたらしい)をバックにした商業地であったそうです。

『新潟の奥座敷』と呼ばれて

また、内野は『酒飲みのための街』でもあります。近くの新川漁港で水揚げされる新鮮な魚介類、近隣地域からやってくる農産物と酒肴には事欠きません。加えて内野町内(それも1キロ圏内)に4軒もある酒蔵。酒飲みにはもってこいの街に飲食業ができない訳はありません。今でも内野駅前を散策すると、仕出し屋や料亭がとても多いことに気が付きます。前述した『大工場がらみの宴会』という需要も多かったのではとも考えます。

飲食業が多く芸者もいたという『新潟の奥座敷』と呼ばれていた街の中で、一番のステイタスシンボルが、内野町を流れる新川をはさんで内野小学校の向かいにあった高級料亭『偕楽館』でした。新潟市内の財閥のお大尽が通った料亭だそうです。私も小学生の頃、偕楽館の建物を見たことがありますが、とても大きな料亭でした。この偕楽館から『客の帰り土産として持たせられるもの』を依頼され、1955年(昭和30年)頃出来上がったのが、内野町内のお菓子処である内野大阪屋の『新川せんべい』です。
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