死を呼び込む不吉なゲーム
死を呼び込む不吉なゲームとは
将棋では駒柱(駒が縦に9個並ぶこと)は不吉の前兆とされています。麻雀には槓(カン=4枚の同種の牌)が同一人でなく1ゲーム中に4つできると「四槓算了」と言ってそのゲームが流れます。「四槓」が「死棺」に通ずるということからです。
また花札の八八というゲームでは最初に配られた手札7枚が四三(フォーカードとスリーカードの組み合わせ)だった場合は「しそう」といって「死相」を連想するということで、そのゲームは中止するどころか、その札を焼き捨てることまでされていました。
ただの迷信・語路合せといってしまえばそれまです。しかしプレイヤーの命運まで左右する不気味なエピソードがあるとしたらそれでも笑い飛ばすことができるでしょうか?それはアメリカの伝説のガンマンや、わが国で最も有名な戦国武将でさえ巻き込んでいたとしたら…
伝説のガンマンが命を落としたポーカー「死者の手」
ポーカーの手役の中には「Dead man’s hand(死者の手)」と名前からして不気味な手があります。ジェームズ・バトラー・ヒコックは南北戦争中陸軍のスパイとして、また戦争後は保安官として、その早撃ちで「ワイルド・ビル」と恐れられたアメリカ西部開拓史に名を残す伝説のガンマンです。
が、光が強ければその影も濃いもの。多くの無法者、お尋ね者を葬ったが故、逆恨みする犯罪者達も多く常に命を狙われる日々でした。
そして運命の1876年8月2日。ナンバー10サルーンでポーカーに興じていたワイルド・ビルは観客を装った背後から近づいたその男の隠し持っていた銃に気がつくことはありませんでした。響き渡る銃声。絶命。
このときワイルド・ビルは僅か39歳という若さ。銃弾と共に作られたその伝説は凶弾によって幕が閉じられました。この時彼が手にしていたポーカーの役こそ「黒のエースと8のツーペア」
これ以後この手役は「Dead man’s hand(死者の手)」としてポーカープレイヤーたちの間では忌避されています。
戦国最強の武将の死を予言していた? 囲碁の「三劫(さんこう)」
囲碁の起源は古くすぎて詳しいことはわかっていませんが、中国で発生し、戦争のシミュレーションとしてあの三国志の武将たちも嗜んでいたといわれています。そしてそれは日本の戦国武将たちも例外ではありません。その代表各が織田信長。現在、囲碁・将棋の最強の称号として、また一芸に秀でた人間のこととして「名人」という言葉を使いますが、元は当時囲碁の名手として名を馳せていた日蓮宗僧侶の日海(後の本因坊算砂)の碁を観戦した信長が「名人であると」褒め称えたことからだといわれています
さてある日、その日海と日蓮宗僧侶の利玄が信長の御前にて手合いをすることになりました。
囲碁ではコウと呼ばれる状態があり、これが三つできるのが「三劫(さんこう)」。非常に珍しい形であり、何千、何万局に一回といわれています。これが出現した場合勝敗は無勝負となります。この御前試合にてそれが出来てしまいます。
三劫は昔からは凶事の前触れといわれ、これを恐れた二人の棋士は早々に退城します。奇しくもその数時間後、信長は業火の中で自害して果てます。日海と利弦らが招かれたその場所こそ本能寺だったのです。
囲碁は呪術・易学と深く結びついていたという説もあります。未来を占うための道具…… それが織田信長の命運まで占っていたのでしょうか?
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