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任天堂が乗り越えてきた“危機”【後編】

1970年代まで慢性的な借金経営が続いていた任天堂。しかし、ひとつの商品が、その後の任天堂を大きく転換させ、いまや国内第3位の大企業にまで成長させるキッカケになりました。

執筆者:川島 圭太

ファミコン誕生の背景にあった「危機」

ゲーム&ウォッチ
(1980年から発売)

多角経営の失敗やオイルショックなどで、1970年代まで慢性的な借金経営が続いていた任天堂(前編を参照)。しかし、ひとつの商品が、その後の任天堂を大きく転換させ、成長させるキッカケになりました。1980年に発売された、世界初の携帯型液晶ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」です。

前述の「ウルトラハンド」や「ウルトラマシン」などのヒット商品を手がけてきた横井軍平氏が、新幹線に乗っているときにサラリーマンが電卓をいじっているのを見て発案したというゲーム&ウォッチは、任天堂が抱えていた負債をすべて返済できてしまったほどの世界的な大ヒットを記録しました。そして、ゲーム&ウォッチで得た資金をもとに、任天堂はアーケードゲーム事業に本格参入。アーケードゲームのキャラクターとして生まれた『マリオブラザーズ』や『ドンキーコング』などは、のちのファミコン人気を支える大きな財産へと成長していくことになります。

……と、ファミコン時代へと話を進めるまえに、このころに起きた「危機」について触れておかないといけません。危機とは言っても、任天堂ではなく「テレビゲーム業界全体」の危機だったのですが。

1982年から83年にかけて、当時アメリカで大ブームになっていたアタリ社のテレビゲーム機「アタリVCS」の市場が、急速に縮小・崩壊するという事態が起きました。ゲーム機本体にソフトが「内蔵」されるタイプが主流だった当時、「カセット」を入れ替えるだけでさまざまなゲームを遊べたアタリVCSは画期的な商品でしたが、その勢いを一気に失ってしまったのです。俗に「アタリショック」と呼ばれている事件ですね。

任天堂はこの原因を、ソフトの「粗製濫造」にあると分析しました。つまり、アタリVCSのブームに便乗した多数のメーカーが低品質のソフトを乱発し、アタリ社もそれを止められなかったことが、ユーザーのゲーム離れを、さらには市場の崩壊を招いたというわけです。

<この時代に任天堂が学んだこと>
■使い古された技術(ゲーム&ウォッチの小型液晶と電卓技術)でも、アイデアしだいでヒット商品を生み出せる。
■やはり娯楽というものは、いつ市場が消えてもおかしくない。

……そこで任天堂は、ファミリーコンピュータでテレビゲーム事業に本格参入するにあたって、独自の市場管理体制を考案します。そしてこれが、いまなお続いている「日本のゲーム業界」のルールの始まりとなるのです。

 

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