八代洲河岸通り

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かつては大名屋敷が多数あった八代洲河岸通り。
八代洲河岸(やよすかし)は、かつて家康の顧問だったオランダ人ヤン・ヨーステンの名前が由来である。これは東京駅の八重洲という地名の由来と同じ。場所は馬場先門から和田倉門までのお堀端。かつてこの通りは大名屋敷がずらりと並んだ通りであった。

龍の口-遠藤但馬守屋敷前脇

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和田倉門への通りのことを辰の口といった。
今回使用した資料には「龍の口」とあるが切絵図を見ると「辰の口」になっている。いずれにしろ読み方は「たつのくち」である。今回参考にした「東京江戸散歩」に遠藤但馬守の屋敷は載っていない。ただ、安政7年3月3日に起こった桜田門外の変にこの屋敷は登場している。井伊直弼の首を取った有村次左衛門兼清が重傷を負い、辰の口にあった遠藤但馬守屋敷前で自刃している。切絵図は慶応元年のもので、そのときにはここに屋敷はなかったが、篤姫の輿入れのときにはあったはずだ。

酒井雅楽頭屋敷前脇

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大手門は観光客でいっぱい。
この大手門の斜め前が酒井雅楽頭屋敷であった。大手門という江戸城の正門でありながら、実に小さい。現在は大手門までまっすぐした道があるが、切絵図で見れば、門までのまっすぐな道はない。酒井雅楽頭屋敷の脇を通らなければ大手門に到達できなかったのだ。

御堀端通り平川口

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ついに平川門に到着。大奥の専用門である。
やっと平川門にたどりつく。門の中に入ると説明書きがあった。この門は竹橋門より侵入してきた敵を撃退できるように細長い城郭(=帯郭)を持っているのが特徴だとある。改めて江戸城は巨大な軍事施設だと思い知らされる。さらに罪人や死人が出ると、この門から出されたので不浄門とも呼ばれていたそうだ。東御苑が開放されている日は中に入れる。ちなみに入場は無料である。

そして大奥、御広敷へ

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大奥は名前の通り、大手門から見てもっとも奥にある。
平川門を渡ってもすぐに大奥に到着するわけではない。坂をのぼり、天守閣のあった場所から、本丸までかなり距離がある。大奥は本丸の後ろ側にあった。大奥の玄関口ともいえるのが御広敷である。今は、芝生になって、人々が寝ころんでいる様子も見ることができる。
以上、篤姫のルートをたどってみたが、間違いがあるかもしれないことをお断りしておく。
それにしても、江戸の町というのは実にお屋敷が多く、その屋敷は今でいえばひとつの町くらいの敷地面積があったりするわけで、江戸は町そのものが城郭のようだと思った次第である。

古地図はgoo 古地図 御曲輪内大名小路繪図

八代洲河岸通り-龍の口-遠藤但馬守屋敷前脇-酒井雅楽頭屋敷前脇-御堀端通り平川口




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