散歩/江戸風情を探す散歩ルート

渋谷~皇居までの篤姫の輿入れルートを歩く(4ページ目)

江戸時代、篤姫が渋谷の薩摩屋敷より、江戸城大奥へ輿入れしたときのルートを当時の資料を参考に歩いてみることにした。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド

松平時之助屋敷前脇

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切絵図には松平甲斐守の上屋敷とある。現在の第一ホテルから東新ビルあたりだろうか。
切絵図にある松平甲斐守というのは、5代将軍綱吉の側用人とし活躍した柳沢吉保の子孫の屋敷である。江戸時代、幸橋御門を過ぎた右側に松平甲斐守の上屋敷がある。今の第一ホテルあたりであろうか。右側も濠でそこをまっすぐ行けば、松平薩摩守屋敷ということになる。

松平薩摩守屋敷脇

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装束屋敷とも呼ばれていた薩摩藩の屋敷があったあたり。
かつてはこの屋敷が薩摩藩の上屋敷だったようだが、手狭になったので、三田に移ったそうだ。篤姫輿入れの時は中屋敷であったろうか。手狭といっても、いまの「みずほ銀行」「NTT日比谷ビル」「大和生命ビル」あたりまでがその屋敷だったようだ。ここは別名「装束屋敷」ともいわれる。琉球使節がこの屋敷で装束を改め、登城したからだそうだ。
ちなみに、大和生命ビルあたりが、後に明治になって鹿鳴館が建てられた場所である。
そのあたりは今度ゆっくり散歩してみたい。先を急ごう。

松平肥前守屋敷前を通り右へ

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今も日比谷公園に残る石垣の跡。
ここもよくわからないポイントのひとつ。松平肥前守屋敷は現在の日比谷公園になっている。道があり表門があったはずなのだが、今は公園である。
その痕跡などはほとんどわからないのだが、石垣のあとなどが残っている。

日比谷御門

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日比谷交差点。かつてはこの道路も濠だったと思われる。
日比谷御門も正確にはどこだからからないのだが、たぶん日比谷の交差点あたりだろう。ここに日比谷御門を渡ったつもりになって、横断歩道を渡る。するとそこは目の前には日比谷濠がある。



古地図はgoo 古地図 麹町永田町外桜田繪図

松平時之助屋敷前脇-松平薩摩守屋敷脇-松平肥前守屋敷前を通り右へ-日比谷御門

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