飯倉松平右近将監屋敷前
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パストラルホテルの入り口あたりから江戸見坂までの広大な敷地が松平右近将監屋敷か。 |
かつて四辻といわれたところを左へ行く。桜田通りだ。切絵図にも載っている八幡神社は今も同じ場所にある。ただ桜田通りがずいぶん拡幅されているので、昔と同じではないのかもしれない。次のポイントである「飯倉松平右近将監屋敷前」というのを探してみる。よくわからないが、江戸見坂というのは今も残っている。そのあたりからパストラルホテルの入り口あたりまでだろうか。広大な敷地である。
相良元三郎屋敷前
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たぶん虎ノ門1丁目の交差点あたりが相良元三郎屋敷前ではないだろうか。 |
このあたりから、ちょっと場所の特定が怪しくなる。まず、「西久保通りを右へ」の西久保通りがよくわからない。相良元三郎屋敷というと相良志摩守だろうか。いずれにしろ、道の突き当たりに屋敷がある。今の桜田通りはそのまままっすぐ伸びているから、あったとしたら、虎ノ門一丁目の交差点あたりだろうか。
木下主計頭屋敷脇前
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たぶん、このビルの脇を入ったところか。 |
ここもよくわからない。木下主計頭屋敷とあるのは相模志摩守の隣にある木下飛騨守の屋敷だろうか。「脇前」とつけられているところを見ると、方向からいって木下飛騨守の上屋敷でいいと思う。脇を通って表門の前を通るからだ。そして、現在だと「小諸そば」のビルあたりではないだろうか。
稲葉伊予守屋敷前を右へ
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屋敷の跡というかんじはまったくない小さなビルがある一角があった。 |
路地をまっすぐ行けば、たぶんここだろうと思われる。「稲葉伊予守屋敷」前を右とあるので、曲がってみた。この通りは外堀通りと平行して走っている。たぶんこの通りでいいのではないだろうか。今、外堀通りのあたりは切絵図によれば文字通りお濠である。
久保町
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外堀通りと平行して長く続く商店街。 |
江戸時代は堀端から一本南側の道がこの通りとなるはずだ。切絵図にはここに久保町の名前が見える。その他にも町屋が並んでいるが、この先が幸橋御門の前あたりの空き地が「久保丁原」になっていて、このあたり一帯を「久保町」と呼んでいたのかもしれない。
幸橋御門
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今は新橋駅前の交差点になっている幸橋御門のあたり |
幸橋は、今の新橋二丁目の交差点かもうひとつ線路よりのあたりだろうか。いずれにしろ新橋駅の近くである。現在、このあたりの風景は一変している。濠が埋め立てられているからだ。ちょうどJRの線路あたりがお濠だったろう。
古地図は
goo 古地図 芝口南西久保愛宕下之繪図
飯倉松平右近将監屋敷前-西久保通りを右へ-相良元三郎屋敷前-木下主計頭屋敷脇前-稲葉伊予守屋敷前を右へ-久保町-幸橋御門