北条美濃守下屋敷前通りを左へ
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古い道である北条坂 |
備中守下屋敷前の表門の前を通り過ぎたあとの道はわかりづらい。当時はなかった外苑西通りがあるのだ。それに次のポイントである「北条美濃守下屋敷」がどこなのかがよくわからない。その後に出てくるポイントを考えれば、北条坂を登っていくのではないかと思われるので、そちらへ行く。北条坂の標識には「坂下近く南側に大名北条家の下屋敷があったためこの名がついた」とある。切絵図には「北條遠江守」とあるところだろうか。実際、大名の屋敷はよく主が変わったそうだ。だからこそ、切絵図も新しい版が売れたわけだ。ちなみに「東京江戸散歩」に収録されているのは、文久元年改訂とある。1861年だから、篤姫が輿入れをした安政3年(1856年)の5年後ということになる。
麻布三軒家
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北条坂をあがったところ。その先は仙台坂に通じる道がクランク状につながっている |
昔の道というのはおもしろい。北条坂をあがるとテレビ朝日通りにあたる。交差点でいえば愛育病院前。切絵図を見るとここを左に曲がったところの道に小さな文字で「三ケンヤ丁」という記述がある。ここが麻布三軒家だろう。このテレビ朝日通りをまっすぐ行けば、切絵図には「サクラダ丁」という記述が見える。
桜田町御書院番組屋敷
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六本木ヒルズの西側、テレビ朝日通から六本木通りへバイパスする道。 |
御書院番というのは将軍の親衛隊である。その組屋敷があったのは、今の六本木ヒルズの脇あたりだろうか。テレビ朝日通りから六本木通りへカーブしてバイパスする道、切絵図を見ると、この道の両脇に屋敷があるのがわかる。
芋洗坂大久保加賀守下屋敷前通り
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今のロアビルあたりが大久保加賀守下屋敷だったろうか。 |
芋洗い坂を横切るようにして外苑東通りに出る。このあたりの道は切絵図とほぼ同じだ。「大久保加賀守下屋敷」というのは、今のロアビルあたりだろうか。
東京タワーが見える。もちろん東京タワーをはじめとして、江戸時代にはないものばかりである。
六本木五島左衛門尉屋敷脇-飯倉片町上杉駿河守屋敷前
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外務省飯倉公館が上杉駿河守屋敷のあったところではないだろうか |
今でこそ目抜き通りとなっている外苑東通りだが、切絵図にある五嶋近江守尉の上屋敷の表門は通り沿いにはない。だから「脇」ということになるのだろう。さらにまっすぐ進む。今は高速道路が横切り、地下道のある飯倉片町の交差点を直進。
「飯倉片町上杉駿河守屋敷前」というのは、今の外務省飯倉公館から麻布郵便局までの広大な敷地だろう。
切絵図にもある榎坂をくだると四辻である。ここを左に進む。ちょうど切絵図ではいちばん端になる。
古地図は
goo 古地図 東都麻布之繪図
北条美濃守下屋敷前通りを左へ-麻布三軒家-桜田町御書院番組屋敷-芋洗坂大久保加賀守下屋敷前通り-六本木五島左衛門尉屋敷脇-飯倉片町上杉駿河守屋敷前-四辻より左へ