紀尾井町通りの八重桜
清水谷公園にはソメイヨシノもあったが、八重桜のほうがたくさん咲いていた。この通りを紀尾井町通りといって、紀尾井坂方面へゆるやかにのぼっている。暗殺現場から、大久保の家をめざしてみよう。紀尾井町通りの先は弁慶濠があり。その東端にかつての赤坂見附があった。見附とはかつての江戸城の周辺につくられた門のこと。赤坂見附を通れば近道だが大久保はここを通らず迂回した。諸説あるが、当時は人通りが多かったので、避けたらしい。
茱萸坂を馬車は進む
国会議事堂の南側にある茱萸(ぐみ)坂を大久保が乗った馬車は通り過ぎていく。馬車のなかで大久保は暗殺時にいつも隠し持っていた西郷の手紙を読んでいたともいわれている。大久保は裏霞ヶ関に洋館を建て、そこに家族とともに住んでいた。洋装で西洋風の暮らしをしていたとも伝えられる。
実に静かな三年坂
今は文部科学省と財務省の間の坂である三年坂。さらに大久保の邸宅は潮見坂沿いでもあった。かつて大久保利通邸があったあたりを歩いてみた。実に静かだ。三年坂をくだって桜田通りに出た。外務省の前あたりで右翼の街宣車の拡声器の声が聞こえる。僕はゆっくりと霞ヶ関駅への階段をくだった。
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