散歩/和む散歩ルート

市ヶ谷橋から飯田橋を経て水道橋の橋散歩(2ページ目)

河岸というのは、物資輸送のため水際につくられた荷揚場のことである。江戸時代、川は物資輸送のかなりに部分を占めていた。というわけで、外堀、神田川の河岸を見ながら歩いてみた。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド

かつての飯田濠の上を歩く


今は濠が埋められ、水辺公園になっている。
神楽坂下から飯田橋方面へ行くと牛込橋がある。橋の途中から飯田橋駅西口となっている。ここはかつて「牛込駅」という駅があって、昭和の初め頃、それが飯田橋駅となったそうだ。
今、外堀はここまでとなっているのだが、昭和30年代までの地図を見るとかつては大きな飯田濠というのがあったことがわかる。
今は埋め立てられ大きなビルが建っている。
その傍らには水辺公園が作られ、かつての濠をしのばせてくれる。
そこをまっすぐ行けば、飯田橋駅の巨大な歩道橋が見える。

高速道路の下を神田川が流れる


神田川は高速道路と同じようにカーブしている。
東京にやってきて初めてこの飯田橋の巨大な歩道橋を見たとき、なんと東京という町は節操なく建設されているのだろうかと思ったことがある。
交通量が多いということもあり、この歩道橋を通ると車の排気ガスがすごかった。
そして、歩道橋はものすごく揺れる。
他の人たちはよくこんなところを平気な顔をして歩くものだと思ったものだ。
さて、改めてこの飯田橋駅東口を探索してみると、神田川と外濠が出会う地点だといううことがわかる。
かつては飯田濠と呼ばれるところにかかっているのが飯田橋である。
井の頭方面から流れてきた神田川は、大曲という場所でいったん東に曲がり、さらにここ飯田橋で東へ曲がっている。
暗渠になったりしてわかりにくいかもしれないが、高速道路がそのまま神田川の上に造られているので、これを見るとわかりやすいだろう。

かつて飯田橋ではなく飯田町だった


神田川の上を高速道路が走る。
飯田橋というのは、明治に入ってからかけられた橋である。いまはこの辺り一帯は飯田橋という住所だが、かつてこの辺りは飯田町と呼ばれていた。
徳川家康 が入府した時期に「飯田喜平衛」という農民がいたことからついた名前なのだそうだ。
明治に甲武鉄道市外線ができると飯田町駅がその始発駅となった。
昔の地図を見ると駅の場所は今の飯田橋駅よりも少し神田川を下った場所あった。
それが牛込駅とともに統合され、飯田橋駅となったのは昭和に入ってからのことだ。
そして、飯田町という名前は戦後、飯田橋に変わっていった。
飯田橋は外濠にかかっているが、神田川のほうには船河原橋がかかっている。
陸橋同様に橋や川もここで複雑に交差していたりする。
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