散歩/昭和を振り返る散歩ルート

荷風が愛した浅草から墨東、寺島を歩く(3ページ目)

文豪、永井荷風が愛した浅草から、隅田川を渡り、その東側である墨東地区を歩く。小説、随筆、日記文学の舞台である「玉の井」(現、東向島)を訪ねてみた。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド

鳩の街商店街へ

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ごく狭い通りの鳩の街通り商店街。注意していないと思わず通り過ぎてしまいそうだ。
水戸街道を行くと、交差点ごとに向島二丁目、向島三丁目、向島四丁目という具合に番号があがっていく。
そして、向島五丁目の次が東向島一丁目と、「東」がつく。東がついているのが、昔の「寺島」地区である。
この交差点から西側にのびているのが「鳩の街通り」である。
大人が2人、両手を広げればいっぱいになる道幅の商店街で、注意していないとそれと気がつかずに通り過ぎてしまいそうだ。
入り口のあたりに「鳩の街通り お年寄りにやさしい街」と書かれた幟(ノボリ)があったが、それも古びていてよく見ないとわからない。

ここ、鳩の街は、戦後の有名な色町であった。
これから行く「玉の井」が空襲で焼け、そこを焼け出された人たちが寺島一丁目(現在の東向島一丁目)に移住してきたそうだ。
かつてはかなり賑わっていたようだが、しかし、なんでこんな場所がと思っい、昔の地図を広げてみた。
すると、水戸街道にはかつて都電が昭和44年まで走っており、鳩の街通りの前あたりが「寺島一丁目」という停留所だったのだ。都内を散歩していて、時おり時間の止まったような商店街に出会うが、たいていそこには同じような歴史がある。

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鳩の街通りから一歩路地に入るとこんな住宅街がある。昭和初期を感じさせるのどかな路地だ。
今もそうだが、何かを規制する法律というのは、まず施工され、1年後には罰則規定も実施されるというように進んでいく。売春防止法も昭和32年4月に施工され、その1年後の33年4月には罰則規定も実施されるようになった。それで鳩の街は色町では無くなってしまったのである。
今の鳩の街通りには普通の住宅や商店が並んでいる。ただ、道などはたぶん当時のままだろうし、建物もその当時のものを改造したのではないかと思わせるものがあって、自分はその時代のことをまったく知らないのだけれど、なんだか懐かしい気分になってしまう。
もちろん永井荷風の作品にも登場するが、鳩の街を題材にした小説家といえば、吉行淳之介だろう。「原色の街」「驟雨」などの作品はこの鳩の街が舞台になっている。


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手前の看板が古い薬屋さんを改造してできたという古本・ギャラリー&カフェの「ごぐま」。商店街になじんでいるが、オープンは2006年である。
歩いてみると幅は狭いが、けっこう長い商店街である。この中ほどにあるのが、ギャラリーと本のあるカフェ「こぐま」である。昭和2年に建てられた薬屋さんを改造し、2006年にオープンした。
木造長屋をそのまま改造しているので、注意して探さないと見逃してしまいそうである。それだけ、この商店街そのものに溶け込んでいる。
なるほど、有名なのか店内はお客さんいっぱいである。
ここで珈琲をいただくことにする。
テーブルと椅子は昔懐かしい、学校で使っていたものと同じ。
展示してある本も自由に見てよいそうで、なかなかいいカフェである。
カフェを出て、再び通りを歩こうとしたら、そこに「寺島保育園」の文字が見えた。
この一帯はかつて「寺島」という住所だったが、それが今は「東向島」になっている。
昔の名前がこういうところに残っているのかとまた感慨深いものがあった。
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