南千住駅をドナウ広場をスタートする
荒川区とウィーンのドナウシュタット区と交流を記念して、南千住駅の東口広場に名づけられたドナウ広場。このモニュメントが目印。 |
「吉原や山谷など時代小説などによく出てくる舞台を歩いてみたいと思っているのですが、なかなか女性1人では行きづらいので、いっしょに歩いてもらえませんか」
というようなものであった。なるほどねぇ。僕も何度かこの界隈は歩いたことがあるが、あまり詳しくない。そこで、このあたりにくわしい写真家の菅野ケイさんに同行してもらおうと思ったのだが、あいにく日程が合わないとのこと。それで、ポイントだけ聞いて散歩することにした。
Rさんに加え、このところ散歩によく散歩に参加してくださる、たむねこさんもいっしょである。
南千住駅の待ち合わせ場所はネットで調べ、駅前の「ドナウ広場」にした。時間は午前11時。
まずは、ケイさんが教えてくれた回向院へ行く。本所にも回向院はあるが、1667年(寛文7年)に回向院住職の弟誉義観(ていよぎかん)が行路病死者や刑死者の供養のために開いた寺で、当時は常行堂と称していたそうだ。小塚原刑場もここにあった。
安政の大獄により刑死した橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎ら、また「毒婦」と云われた高橋お伝などの歴史上の有名人物が葬られている。
入り口のところに「吉展地蔵尊」がある。1963年、4歳の子供が誘拐、殺害され、2年後に犯人は捕まった。犠牲者の供養のために建立された地蔵尊だ。
この事件は僕の記憶に強烈に残っている。被害者と僕はほぼ同じ年齢だったし、物心ついて最初に知った事件のひとつであったからだ。
そんなことを2人の若い同行者に話す。
さて、あまりゆっくりもしていられない。急いでうなぎ屋さんの「尾花」に向かう。
さっきまで曇っていた空が晴れ渡り、日差しが降り注いでいる。
うなぎ「尾花」で行列に並ぶ
行列ができているので、すぐにわかった「尾花」。 |
「ここの鰻は、鰻は東京でいちばん美味いと言われています」
とのこと。僕はこういったケイさんの物言いが好きだ。決めつけるのではなく、“言われています”というのが、大人だなぁと思うのだ。
ちなみにケイさんは、昭和25年生まれ。僕よりも8つ上である。
そして、僕よりもうんと若い女性2名も鰻に期待しながら、JRの線路沿いを歩く。急いでいたのは、この店が人気店で、並ばないと入れないからだ。
11時25分くらいに到着。すでに30人くらいの人が並んでいた。最後尾に並ぶと、店の人から何人かを聞かれ、「3人です」と答える。しばらくすると行列が進み、僕たちもどうやら中に入れるようだ。暖簾をくぐると玄関があり、「そのまま、靴をお脱ぎください」と言われる。下足番の方がいて、下足札をくれるのだ。ああ、これは昔の日本では当たり前のようにあったスタイルだろう。かつての寄席もそうであったし、多くの料理屋もこうして下足札をもらって座敷にあがるのだ。
大広間にいくつものテーブルがある。その1つの僕たちは通される。
お店の人は実に手際よくお客さんをさばいていくのだ。
他のテーブルでは、ビールなどを飲みながら、白焼き、うざく、う巻きなどを食べている。僕たちは、うな重だけにした。これが、あとで後悔することになる。とにかくお重が出てくるまで時間がかかるのだ。そういえば、入り口に「当店では昔ながらの調理法により、うなぎ料理があがるまでに1時間位お待ちいただきます。ご了承ください」と書かれた札があった。やはりビールかお酒でも飲みながら待っていたほうがよかったかも。
次回はぜひそうしよう。
これが「尾花」のうな重。3000円。いやぁ、おいしかった! |
僕たちは3人とも3000円のものにした。
そして、きも吸いが300円。
うな重は、お重で出てくるのが、2500円のもので、3000円と3500円のものは丼でくる。3000円のものは、ちょうどご飯がかくれるくらいの大きさの鰻が乗っていて、3500円のものは丼から鰻が少しはみ出しそうな大きさだ。
さて、これが柔らかくて実においしかった。正直、これまでの人生のなかでいちばんおいしかった。感激である。そして、お腹いっぱいだ。
下足札を持って帳場に行く。札を渡すと会計である。その間に靴も出されている。実に効率の良いシステム。お店の人の対応も本当に気持ちがいい。