散歩/江戸風情を探す散歩ルート

落語「黄金餅」の世界を歩く、古地図散歩(2ページ目)

江戸落語には今も残る地名がよく出てくる。中でも「黄金餅」という落語は歩く道筋、道順などが詳しく語られている。今の地名でいえば上野あたりから麻布までの行程だ。少し長いが、古地図を使って歩いてみた。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド

「下谷の山崎町を出まして」~東上野4丁目をスタート

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意気揚々と東上野4丁目を出発!死体を運んだ金兵衛の心中はいかに
このコースは散歩者の間でも有名ですでに多くの人が歩いている。JR上野駅、午前11時にプロデューサーのEくんと待ち合わせた。まずは、西念が住んでいたという下谷(したや)の山崎町へ。

山崎町というのは江戸時代の町名で、古地図などでは「山サキ丁」という表記だったりする。明治になってこの山崎町は万年町と名前が変わった。そして、現在は東上野4丁目である。台東区役所の裏あたり。今はその当時の面影もない。今回の散歩は約13kmもある。先を急がないといけない。

ここから、菜漬けの樽を棺おけ代わりに西念の死体を入れ、長屋の住人たちで、麻布にある木蓮寺まで運ぶのである。もちろん落語だからこの話はフィクション。それでもあまり気持ちのいいものではないなぁ。まずは上野駅を右に見て、上野の山下へ。今は陸橋を渡る。この話の時代は幕末のころではないかと言われている。だから上野駅などはない。

ここで、ちょっとした論争になっているのが「三枚橋」である。上野広小路に出るには三枚橋を渡るよりも三橋を渡ったほうが近いというのである。いまは中央通に「みはし」というあんみつ屋さんがその名をとどめている。アメ横をまっすぐ抜けるところに三枚橋があり、僕はこちらでもいいとは思う。

まあ、今回の散歩はあまり細かいことは気にせず、ざっくり歩いてみたい。まだ上野広小路だ。先を急ごう!
下谷の山崎町(現・東上野4丁目)から上野広小路(現・上野広小路)

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