ひっそりと佇む吉良邸跡
現在は本所松坂町公園になっている吉良邸跡。 |
外山さんだけが地図を持ってきていたので、それを見ながら探す。たしかこのあたりなんだけれどと、ぐるぐるまわると、Eくんが「ありましたよ」と教えてくれた。あー、公園というから、ごく普通の公園を想像しながら探していたのだけれど、ここは、白壁のお屋敷のようになっている。もともとの吉良邸はもっと広かったそうだが、今はその一部だけが残っているようだ。
中に入ると、いろいろな展示物がある。吉良邸の図面や忠臣蔵を描いた絵などがある。ここは、公園というよりも、ちょっとした博物館だ。
驚かされるのは、「首洗い井戸」である。ああ、ここで上野介の首を洗ったのかと思うと妙にリアルだ。なんだか事件現場にきた感じがひしひしとする。
事件の発端は江戸城の松の廊下で、浅野内匠頭が吉良上野介に対して刃傷に及んだことにある。上野介は軽症だったが、殿中での刃傷ということで浅野内匠頭は切腹を命じられる。喧嘩両成敗のご時勢なのに、上野介にはお咎めはなし。そこで、赤穂浪士が主君の仇ということで、ここ吉良邸に討ち入ったわけである。それが12月14日、正確には15日の未明、午前4時ごろである。
上野介の首を落としたのは午前6時ごろ。もちろん死亡したのは上野介だけではない。屋敷にいた吉良家の家臣16人が死亡、負傷者は23人であった。赤穂浪士側は数名の負傷。その後、赤穂浪士は回向院へ行く。いまも回向院はこの吉良邸跡のすぐ近くにある。が、回向院側はかかわりたくなかったのか、門を開けなかった。
赤穂浪士たちは浅野内匠頭の墓がある泉岳寺をめざすのだが、両国橋を渡ると武家屋敷が多い。武家に見つかってしまっては一環の終わり。そこで、浪士は隅田川沿いを南下していくのだ。