徳川家康が連れてきた三十三人衆の漁師たち
船着場。時が止まったように今も船を迎え続けている |
かつて徳川家康が摂津の佃(現在の大阪市淀川区)のあたりで、舟がなく困っていたときに、助けてくれたのが佃の漁師たちだったそうだ。それから、佃の漁師たちと家康のつきあいが始まったそうだ。そして、徳川家康が江戸にやってきたとき、佃の33人の漁師を佃から連れてきて、江戸で自由に漁をする権利を与えたそうだ。
しかし、もともと江戸にいた漁師たちとトラブルになった。それはそうだろう。そこで、三十三人衆は家康に申し出て、隅田川と江戸湾の間にある中州を埋め立てて、そこに居住するようになった。それが、佃島である。そういう意味では、ここ佃島は他の地域と違って、独特のポジションを保ってきたのである。
船着場にかかる橋から佃島マンション群を眺める |
このあたりは散歩に適している。あちらこちらに休憩できるベンチがあり、公衆トイレもいくつもある。石川島灯台あとも下はトイレになっている。そして、隅田川沿いは明石町側もそうであったようにずっと遊歩道が続いている。