「払われるのが、要するに相手から先に仕掛けられるのがいやだったってことですよね。それがいやだったから、6セット目の9オールのときには勝負をかけなかったってことですよね」と私は聞いた。
福原が小さくうなずいた。
「少し緊張していたというか──」
そう私が言いかけると、
「誰だって緊張すると思います!!」
福原がさえぎるように、きっぱりと言い放った。
私は気おされた。彼女の口調と、向けられた射抜くような視線に、「敵意」のようなものを感じたからだ。私は戸惑いつつも、質問をつづけた。
「攻撃を仕掛けようという意識が、そのときはあまりなかったということでしょうか」
「ありました」
「でも、仕掛けませんでしたよね」
「緊張してるから、手も震えてるし、(サービスが)長くいったらいやだから」
「自分の緊張の度合いとの兼ね合いを考えて勝負をかけなかったということですか」
「……兼ね合いって?」
福原が広報担当者のほうを向いた。担当者は手振りを交えながら説明するのだが、福原はいまひとつ納得しきれないようだった。私は質問を終える意志を伝えた。
福原は手が震えていたという。そのため、勝負をかけても失敗する可能性が高いと判断したのだろう。コーチの指示に首を振り、自分の状態を考えて最善と思われるプレーを選択した。それは、中国の代表選手を相手に負けることを恐れていたことの表れでもある。成長したのは背丈だけではなかったのだ。
それにしても、「誰だって緊張すると思います」と言ったとき、彼女の瞳に宿っていた「敵意」は、どこに発端があるのか。緊張とは無縁の存在と見られたとでも思い込んでいるのだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら記者会見を聞いていた私は、ある記者の質問に、はっとさせられた。