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『1976年のアントニオ猪木』を紐解く(1)(3ページ目)

『1976年のアントニオ猪木』。今日のプロレス&格闘技界の礎となるであろう"猪木の1976年"を、3年にも及ぶ過酷な取材を経て書き上げた渾身の一冊だ。その著者・柳澤健さんへのロングインタビュー第一弾。

執筆者:川頭 広卓

Uの先にリアルファイトの幻想。原点にはゴッチさん

柳澤さんが初めてプロレスに携わったというNumber291号『最強の美学』より、カール・ゴッチ、インタビューページ/(C)文藝春秋
――柳澤さんが、U系にしか興味が持てなかった理由というのは?

「この頃は、“UWFの先にリアルファイトがあるのではないか”という幻想を抱いていたし、その原点にはゴッチさんがいるという想いがありましたからね。この号では、ゴッチさんのインタビューがあるんだけど、それが僕の中では、すごい意味がありました。

この写真、カッコいいでしょ?大好き。Numberに載った写真の中で、一番好きかもしれませんね。

この、ゴッチさんが窓際にいる写真は、別に作った構図ではなく、清水博孝カメラマンが自然に撮ったもの。オデッサのゴッチさんの家に行った時のことはすごい覚えています。」

――確かに、それ以前のNumberでは、プロレスを広く網羅していましたので、この号は明らかに異質ではありますね。

「文藝春秋に入社した頭がいい人達がNumberにきているのと、僕みたいに大学時代にまんが雑誌やってて、たまたま文藝春秋に中途入社した人間では全然違うのよ。こっちは根っからのサブカル野郎だから。

僕の興味は濃いところにあった。プロレス全体を扱って、薄っぺらい特集を作っても仕方ないという想いはあった。孤立無援に近かったけど、まわりに何か言われても、編集長(設楽敦生氏)が、サポートしてくれた。私にとってはすごい有り難かったし、いい時代だったと言えますよね。

98年以前のNumberっていうのは、文藝春秋の社内的にも期待される雑誌じゃなくて、そこそこペイはしているんだけど、決して儲かる雑誌ではなかった。でも、この年のフランスW杯でドカンと売れて儲かる雑誌に変貌して、そこから、会社の方も期待するようになったんです。

だから98年以前は、割と尖った企画もやりやすかった。今は“このくらい売ってもらわないと困る”っていう外側からの要望もあるのかもしれませんね。」

――そんな尖った企画を象徴したのがゴッチさんへのインタビューだった?

「下手な英語でドキドキしながらフロリダの自宅に電話をして、“I am an editer of sports graphic Number magazine”って言うと、電話の向こう側でゴッチさんが“イエス”って言うのよ(笑)。

で、“I want you make an interview of you”とか、“Do you have a time for us ?”って中学生英語で聞くと、ゴッチさんは、“Yes,of course”って言う。

更に“再来週の何日かに、そちらに行ってもいいですか?”って言えば、“イエス”って言うから“あああ、インタビューが決まっちゃったよ!!!”って大騒ぎしましたよね。神様に会えるって。

その頃、カール・ゴッチっていう人を、みんな神様として見ていた。僕も尊敬してたし、神格化していた。プロレスの強さの根源的存在。そこから始まって、Uに至る訳だから、言ってみれば、UWF神話を信じていたといえるのかもね。

UWFが、全部リアルファイトだとは思っていなかったけど、“プロレスの未来はこっちにしかないんじゃないの?”って思ってたことは確か。今思えば、ナイーブだったというか・・・」〔次号へ続く〕

Special Thanks To Kenichi Ito

インタビュー続編はコチラから
※文中イメージ写真(Number291号)は、文藝春秋/Number編集部の許可を得て掲載しております
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