■村浜の抱えた三重苦
一つは拳の怪我である。
この大会を遡る約三週間前、村浜は現在所属する大阪プロレスの試合の中で、拳に怪我を負っていたという。今回のJapanトーナメント出場が決定した直後のこともあって、インタビューを行ったBoutReviewUSAのスタッフはこの事実を記事にしなかったが、大会三週間前といえばそろそろ追い込みに入らなければならない時期。
ましてプロレスを「毎日の仕事」としている村浜にとって、通常の格闘家のように一試合に焦点を絞った集中的な練習は不可能に近い。
間の悪いことにこの大会のたった三日前の21日には大阪プロレスのビッグマッチ「Super J-Cap~大阪ハリケーン2004~」が開催される日程となっていたのだ。これは各プロレス団体のジュニア戦士が一堂に会するオールスター戦でもあり、そのホスト団体である大阪プロレスとしては、王者である村浜を送り出さないわけにはいかない。
“仕事師”を自ら任ずる村浜にとって、四日でプロレスと格闘技の二つのオールスタートーナメント出場という名誉は願ってもないことであったに違いない。むしろ、自分にそれだけ注目が集まることを、“美味しい”と感じる感性が村浜にはある。だが、その“欲張り”のツケは決して安くはなかった。
結局Super J-Capの決勝で敗れ、一晩で三試合をこなすことになった村浜は、足の不調までも抱え込むことになり、前述の拳の故障と、連戦の疲労の三重苦を抱えたままリングにあがることになっていたのである。
Super J-Cap直後「連戦の影響が影響がないかと言われれば嘘になる」と、何時になく弱気なコメントを吐いたという村浜。
魔裟斗、谷川Pはもちろん、多くのファンが村浜の制覇を疑いもしなかった状況下で、実は村浜はリングに上がる前にボロボロになっていたのだった。