自身が持つ頑ななまでのポリシー
プロとして頑固なまでにひとつのことにこだわった。それは、登板した後でしか報道陣との会見をしなかったこと。登板前はもちろん、中4日の登板間隔中も「投げたら話します」を通した。それが彼のポリシー。決してしゃべるのが下手でも嫌いでもない。いつぞやNHKのプレーオフ放送で野茂は解説をしたが、経験を踏まえた内容は聞く者をうならせたし、何よりも本人が楽しそうだった。だから、登板後のみの会見も頑ななまでのポリシー。日本球界への復帰もなかったのも、94年オフ、まるで追われるように海を渡った経緯を忘れていなかったからかもしれない。
「悔いが残る」という言葉に持つわずかな希望
野茂の今後はわからない。ただし、サプライズでありながらひょっとしてと思えるものがひとつだけある。それは「現役復帰」だ。すでに40歳だが、まだ40歳ともいえる。食生活の改善やトレーニング技術の進歩などで、メジャーでは40歳を過ぎてもプレーを続けている選手は年々増えている。トム・グラビン(ブレーブス)は外角低めのコントロールだけでメシを食っているし、ティム・ウェークフィールド(レッドソックス)のナックルボールは未だに捕るのが難しい。野茂だってわからない。セットアップからもう一度トルネードに固執すれば、フォークが甦るかもしれない。何度も打ちのめされながらも、不死鳥のごとく甦ってきた“実績”が彼にはある。「悔いが残る」という言葉に、私はわずかな希望を持つ。
<関連リンク>
「野茂英雄」という男の価値