メジャーリーグに引き分けがないのはなぜなのか
メジャーリーグに引き分けがないのはなぜ?
日本やアジア地域のプロ野球と違い、メジャーリーグのゲームには引き分けがない。同じ野球で、どうしてこのような差異が生じたのか。それぞれの野球文化とそれが根付いた背景を探る。
<目次>
メジャーリーガーは引き分けがある日本プロ野球に驚いた
随分昔の話である。いわゆる「外国人助っ人」の、メジャー出身プレーヤーが来日し、日本プロ野球でプレーして驚いたことがある。もちろん、アメリカと日本での野球文化の差は山ほどあったろう。しかしその中でも特に彼が驚いたのは、日本プロ野球における「引き分け」の存在である。「引き分けってなんだ? ベースボールはどっちかが勝つまでプレーするものじゃないのか?」というのが彼の素朴な違和感であった。この手の話は、今でもアメリカでプレーする、メジャーやメジャー傘下のプレーヤーにとっては普通に語られることだ。「日本の野球には引き分けがあるんだろ?」と、彼らはまるで引き分けの存在が東洋の神秘であるかのように語る。
メジャーリーグでの「引き分け」
メジャーリーグのシーズン162試合の中には引き分けという試合が存在しない。試合がなかなか決着がつかない場合はどうするか。それでもとにかく決着がつくまでやるのである。決着がつかない場合の実際は、おおむね「サスペンデッド・ゲーム」という形で処理される。つまり、深夜1時なり2時なりまで試合を続行し、それでも同点であれば中断し、後日続行ということだ。
日本でも確実に勝敗をつけなければならない試合はある。甲子園のトーナメント戦などの一発勝負だ。しかし、これらの試合もおおむね処理方式がメジャー流とは異なる。例えば現在の甲子園であれば、延長は15回(以前は18回)までで同点ならば引き分け、そして引き分けの場合は「再試合」となるのである。
アメリカ野球とアジア野球
世界の野球は、メジャーリーグを頂点とする「アメリカ野球」と、日本を中心とする「アジア野球」の大きく二つに分けられる。中南米・カリブ・太平洋地域や、また遠くヨーロッパ・アフリカなどは、その選手の流動性からアメリカンスタイルの影響下にある。一方アジアは、戦前の日本を中心として野球が普及したので、「日本スタイル」が野球に大きく影響している。そして、「アメリカ野球」には引き分けがなく、「アジア野球」には引き分けがあるのだ。やはり引き分けは東洋の神秘なのか? 答えはもう少し待ってもらいたい。
アメリカ野球は引き分けより「決着」を好む
引き分けがないと書いたメジャーリーグだが、メジャーリーグでも引き分け試合は起こったことがある。2002年のオールスター戦である。両リーグは同点のまま延長に突入したが、なかなか試合が決まらない。そして延長14回を終了したところで、控えの選手がいなくなったことを理由に、コミッショナー裁定による引き分け試合となってしまった。当然ファンからはブーイングが飛ぶ。この試合はあたかも前代未聞の不祥事であるかのように報道された。メジャーリーガーがオールスター戦出場を軽視する傾向があることも加味されて、後のオールスター改革(勝者のリーグが、ワールドシリーズのホームアドバンテージ)に繋がっていくのだ。
もう一つ、エピソード挙げるなら、松井秀喜がヤンキースに入団した年の2003年。9月19日の試合がハリケーンの影響で5回コールド(引き分け)となってしまった。そしてその再試合は別に行われ、日米連続試合出場を続ける松井はなんとメジャー新人初の「163試合出場」プレーヤーになってしまったのだ。
この引き分け試合は、試合としては成立しているのだが、引き分けとしては記録に残らない。この年のヤンキースの成績は、163試合で101勝61敗。1引き分けは残らない。後に松井の成績を振り返るときに、どうにも試合数の計算があわないと思ったら、それはこのエピソードのせいだ。
メジャーリーグに引き分けがないのはなぜか?
これに関して、正確なところは定かではない。しかし、かなり核心に近いと思える話はある。メジャーリーグでは、誕生当時から引き分けというものが存在しなかった。そして、野球が現在の形になる前のオールド・ベースボールにその理由を見いだせるのである。野球はクリケットから発生したと言われている(ちなみに、クリケットは5日間プレーして引き分けなんてこともある)。それがアメリカでオールド・ベースボールの形になった。そのルールはどういうものだったか?
それは、「21点を先に取ったチームの勝ち」というものだった。要するに、オールドベースボールは、バレーボールや卓球などと同様、スコア先取制のスポーツだったということだ。21点という、キリのいい数(10の倍数)プラス1というのも興味深い。かつてのバレーボールや卓球は11点とか21点だ。ダーツでは、501点というのが採用されている。「最後の1点を取って決着する」という感覚が、根元的に根強いのではないだろうか。
日本野球にはなぜ引き分けがあるか?
一方、日本野球になぜ引き分けというシステムが導入されていったかを辿るのは難しく、推測の域を出ない。引き分けがある種の合理性を持っていることは確かだ。引き分けゲームを例えば0.5勝ととるか、カウントしないととるかなど、処理方式には難しい部分もあるが、あるゲームを時間なりイニングなりで区切るというのは、延々と続くゲームの処理としてはまっとうだろう。しかし、おそらくそれだけではない。日本において野球が積極的に引き分けを導入していった背景には、日本のスポーツに対する感覚が色濃く反映されているように思えるのだ。
端的に言えば、相撲である。日本の野球はピッチャーとバッターの立ち会い・勝負を重視する面がある。また、野球の黎明期~普及期である大正時代、相撲選手の野球チームなども多く誕生した。
今でこそ大相撲も、「同体取り直し」により必ず白黒をつけるようになったが、古来の相撲はそうではなかった。両者が長時間戦い、どうにも勝負がつかないようであれば「持勝負」「引き分け」という決着は多かったのである。それは過去の大相撲の結果を紐解けばすぐにわかるだろう。
また、大相撲ではない古相撲では、勝敗をつけない、または必ず1勝1敗で終わらせるなどの決着を採用する場合がある。この場合、勝敗ではなく、経過を楽しむスポーツ?なのだ。
それらから連想するに、日本野球ではむしろ積極的に「引き分け」というシステムを導入していったのだろう、というのが筆者の見解である。はからずも野球の引き分けという一点を追うことによって、アメリカと日本文化の差が垣間見えたような気がするし、またこれらの文化差が、双方で異なる野球文化の差異にも影響しているように感じるのだ。
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