中畑監督はどうだったのか
「中畑ヘッドコーチ」と呼ぶことを義務づけられていたかのような日本のマスコミ報道だが、アテネでの中畑は「実質監督」どころか「監督(Manager)」登録だったのだ。監督は試合中の指揮権(選手交代等の権利や抗議権)を唯一持つ存在である。法人に例えれば、中畑は代表権を持った社長で、長嶋はそれを持たない名誉顧問でしかない。マスコミは慣用的に「長嶋ジャパン」を連呼していたが、ルールあってのスポーツということを考えれば、この呼称は少なくとも大会開始以降は自粛した方がよかったのではないだろうか。参考:『長嶋監督、五輪の登録名簿から外れる』(日刊スポーツ)
上記の理由により、ここで「中畑監督」と書くことには異論はないだろう。そして、責任の所在は監督である中畑に帰する。そこで、アテネでの中畑監督体制について再考してみることにしよう(前置きが長くなった。それもこれも「長嶋ジャパン」という幻影のせいだ)。
「何もしない」のが中畑の采配方針
まず、アテネでの中畑采配だが、表だって見えるミスは少なかった。これにはいくつか理由があるが、まず第一に中畑監督が「できる限り何もしない」ことを選択した点にある。例えばバッティングオーダーだが、予選リーグ第一戦から準決勝オーストラリア戦まで一度も変更を加えなかった。この点に関して即座にノーとは言えないだろう。私もどちらかと言えば打順固定派で、勝っている限りは変更しなくてもよいとは思っているからだ。また、控えの野手(金子・村松・木村)が揃って故障気味・体調不良だったという事情もあっただろう。ただし、この「何もしない」ことが積極策ではなく、ある種、中畑の責任回避的な消極策に見えた。打線の変更は賭けであるし、組み替えたことで結果が悪くなれば、咎められるのは監督だからだ。しかし、予選リーグ後半から5・6・7番(中村・谷・小笠原)の当たりは悪くなっていた。特に5番中村は、予選リーグ第4戦のオーストラリア戦以降の6試合でわずか1安打しか放っていない。準決勝で谷が負傷したことなどを受けて打線を組み替えた3位決定戦で、準決勝の1点も取れなかったオーストラリア戦とはうって変わって11点も取ったのは皮肉である。
また、長嶋氏の希望であった4番・城島を頑なに守ったことも、いい選択であったとは思えない。城島も成績的に目立ちはしないものの、後半は疲労のためか、明らかに調子が下がっていた。この不動オーダーだが、2番宮本・9番藤本以外、全てクリーンナップを打てるバッターである。「猫の目打線」とまでは行かないまでも、少なくとも楽そうに見える相手との試合では、他の打順を試すなどのことはできなかったものだろうか。
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