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矢部次郎選手インタビュー もうちょっと現役にこだわりたい

サッカーライター江藤高志さんが矢部次郎選手をインタビュー。矢部選手は昨年鳥栖を解雇され、来季プレーできるチームを探している。彼が語ったサッカーにかける思いをどうぞ。

執筆者:小野寺 俊明


矢部次郎

ポジション:MF
年齢:25歳 (1978年05月26日生)
出身:愛知
履歴:奈良育英高→名古屋グランパスエイト→サガン鳥栖

昨年末に柏で行われた第一回トライアウトの会場で、笑顔の彼を見つけた。5シーズンを過ごしたサガン鳥栖を解雇され、新しいチームを探す身でありながら、そんな悲壮感をほとんど感じさせない表情が印象的だった。

「なんとかなるんじゃないですかね」

そう楽観的に答えた矢部次郎は、結局どのチームからも声をかけられないまま年明けの第二回トライアウトに臨む事となる。

「コンディション調整が難しかったです」

そうトライアウトを振り返った矢部の表情は、柏で会ったときとは全く違ったものになっていた。「サッカーの楽しさをもう一度」。そう願いつつも、その思いとはかけ離れた現実がある。そんな厳しさと直面している表情に思えた。

取材/文・江藤高志

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名古屋へ入団

サッカーを始めたのは小学校三年の時でした。二名(にみょう)FCから二名中学サッカー部。そして奈良育英へと進学しました。一学年上に楢崎(正剛・名古屋)さん。一コ下には鳥栖で一緒にやっていた中村祥朗がいました。同期に名古屋の中谷勇介がいて、年代別に入っていたこともあって学校にスカウトの人が来てたんですが、その時に『あいつもいいんじゃない』という感じで拾われたんですよね。

プロの世界に入るときですが、監督に呼び出されて『お前プロと大学とどっちに行くつもりにしているんだ』って言われて、『まだ親と話をしてないんで』って答えたら『お前の人生だからお前が決めろ』って言われて。それで『大学断ってください』って。

そうやって名古屋に入団させてもらったんですが、サテライトだった最初の2年間は、4人とか5人くらいで別のグラウンドで練習するという形でした。トップチームと一緒に練習させてもらえなかったんですよね。だから、それこそ試合会場でピクシーを見るという感じでした。熱心なサポーターの方がよほどピクシーを見ていたかもしれません。

不完全燃焼の状態が続いてたんですが、そんなときに大熊監督(当時)のルートから東京ガスの練習に参加できそうなチャンスがあったんです。当時の東京ガスはみんながんばってて、今もそういうスタイルですけど、むかしからそういうスタイルで、やっぱサッカーはこうあるべきだと思ったんですね。そういうのにサッカーの原点みたいなものも見えましたから。それでチームの人に相談したら最初は賛成してくれてたんですが最終的にダメになって。残念でしたね。それが二十歳くらいの時でした。

思い通りに行かなくて当時はノイローゼ気味でした。練習に行くのが苦だったというか、練習場に付くと腹が痛くなったりしましたからね。『ああ、不登校というのはこういう事を言うんだな』とその時思いました(笑)。
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