初の東ドイツ出身のキャプテン
バラックのプレーにドイツの命運は委ねられた…… |
「皇帝」フランツ・ベッケンバウアーにちなみ、「小皇帝」の異名を持つバラックは7歳でサッカーを始め、10歳でケムニッツァーFCのユースチームに入る。
1997年に1部復帰を果たしたばかりのカイザースラウテルンに入団。ブンデスリーガでのデビューを果たしたバラックは、いきなりリーグ制覇を果たした。その後レバークーゼンを経て02-03シーズンからバイエルン・ミュンヘンに移籍。04-05と05-06シーズンの2連覇に貢献した。
旧東ドイツ地域には、ドイツの1部や2部のブンデスリーガのクラブがなく、現在旧東ドイツ出身の代表選手はこのバラック1人である。また、ドイツには欧州各国やアフリカ、アジアなどからの移民が多く、ポーランド出身のFWクローゼ、ポドルスキー、MFボロウスキーと、スイス出身のFWノイビル、ガーナ出身のFWアザモアなどが代表選手としてW杯に出場する。
バラックは、W杯後のシーズンからはドイツを離れ、イングランド・チェルシーに新天地を求めることが決まっている。ドイツの地に置き土産を残すことができるだろうか。
スタジアムにも統一ドイツの証
決勝が行われるベルリン・オリンピアシュタディオン |
その顕著な例がスタジアムだ。ドイツW杯実行委員会は、通常のW杯などと同様に、収容人数や立地などの条件を元に開催スタジアムを決定したが、旧東ドイツにあり、ドイツサッカー協会発祥の地でもあるライプツィヒのツェントラール・シュタディオンだけは例外とされた。
また、東西統一の象徴であるベルリンは、統一ドイツとして初めてのW杯の決勝にふさわしい場所と言え、改修も、ベルリン五輪や歴史を残すために、あえて陸上トラックを取り除かないなど、細心の注意を払って行われたという。
ドイツの人々はベルリンでW杯優勝を成し遂げることを期待している |
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