1938 |
2月22日東京に生まれる |
1944 |
東京高等師範学校(現・筑波大学)附属国民学校入学 |
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第二次世界大戦激化により、岩手県花巻の農村に疎開する |
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学校に行かず毎日小川で食用にする“どじょう”捕りや、山菜採りに熱中 |
1950 |
東京教育大学(現・筑波大学)附属中学校入学 |
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山岳部に入部 |
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婦人倶楽部(講談社) 子供服のモデル |
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熱帯魚、海水魚、高山植物の飼育を始める |
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シュノーケリングを始める |
1956 |
東京教育大学(現・筑波大学)附属高等学校卒業 |
1959 |
日米会話学院第一部卒業 |
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同院在学中新聞部に在籍 |
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真鶴半島(神奈川県)に下宿し、素潜り、魚突き三昧をする |
1962 |
東京芸術大学美術学部日本画科に入学 |
1963 |
芸大スキー部を創設、初代部長 |
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カントリー・ウエスタンバンド“カントリー・ジェントルメン”を結成 |
1967 |
日本美術院展初入選以後、同展に6回入選 |
1969 |
東京芸術大学日本画科大学院修士課程修了 |
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マウナケアスキークラブ(スキーとダイビングのクラブ)を創設、会長 |
1970 |
ヨーロッパアルプススキー縦断170キロ |
1971 |
ヨーロッパ無銭スケッチ旅行 |
1972 |
日本航空北海道スキーキャンペーンCMに出演 |
1973 |
奥信濃の豪雪地帯、長野県飯山市の廃村にアトリエと住居を移し、以後無所属 |
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モリアオガエルの養殖を始める |
1975 |
個展<山田真巳日本画展熱帯の花鳥>/於:日産アートサロン(銀座) |
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パプア・ニューギニアへスケッチ旅行/後援:ニューギニア国営航空
以後同地へ9回訪問 |
1976 |
南太平洋諸島へスケッチ旅行(タヒチ全諸島、ニューヘブリデス諸島、ニューカレドニア等)/ 後援:UTAフランス航空、フランス航空 |
1977 |
信州アトリエの土蔵に版画工房を作る |
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パプア・ニューギニア ラバウル湾にて沈船探索のため、水深90メートルを潜る |
1978 |
NHKスペシャル番組<海ゆかば>、パプア・ニューギニアの取材をコーディネート |
1979 |
個展<山田真巳展日本画パプア・ニューギニア>/於:銀座シグナス/ 後援:駐日パプア・ニューギニア大使館、ニューギニア国営航空、全日空 |
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二ューギニア国営航空のポスターを制作 |
1980 |
個展<山田真巳日本画展パプア・ニューギニア>/於:パプア・ニューギニア国立博物館・美術館/ 主催:国際交流基金、パプア・ニューギニア国立博物館・美術館/ 後援:駐パプア・ニューギニア日本大使館、ニューギニア国営航空、全日空 |
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同個展/於:オーストラリア マンリー市立美術館(シドニー)、ブロークンヒル、オーブリー、オレンジ、タリーの各市の美術館/ 主催:豪日交流基金、ニューサウスウエールス美術館協会 |
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オーストラリア全土をスケッチ旅行/後援:オーストラリア外務省 |
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グレートバーリアリーフを小型飛行機で取材旅行 |
1981 |
パプア・ニューギニア文化展をコーディネイト/於:銀座三越、飯山市(長野県) |
1982 |
巣落ちの仔梟を飼い始める |
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オーストラリア シドニー・マンリー市と東京都台東区の姉妹都市提携の橋渡しをする |
1983 |
個展<山田真巳展日本画オーストラリア>/ 於:オーストラリア マイヤー百貨店(パース)、アデレード、ウォーナンブール、ミルドラ、キャンベラ、マンリー、ユラーラ、ブリスベン、ダルビー、ミンダラ、ロックハンプトン、ボーエン、タウンズヴィル、ケーンズ各市の美術館、 計14箇所バンに作品を積んで、自身で運転し16000キロを走破/ 主催:豪日交流基金/後援:駐豪日本大使館、各開催都市、オーストラリア三菱自動車、カンタス航空 |
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シドニー・マンリー市より文化功労賞を受ける |
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フィージースケッチ旅行/後援:フィージー政府観光局、タートル航空(水上機) |
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同個展/於:長野県立信濃美術館/主催:豪日交流基金/後援:駐日オーストラリア大使館、長野県、信濃毎日新聞、信越放送、カンタス航空 |
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山田真美(作家)(旧姓鈴木真美)と結婚 |