銅版による地図類、有馬温泉の絵図、月ヶ瀬真景図を見たのですが、その精細極まる銅版作品、それも気が遠くなるような根気を必要とするそれらのものを見て、曽祖父がどのような行いをして来たかをたどって見たいという気持ちが心の奥底から湧いてきました。
その時、曽祖父のことを調べてまとめて本にしてみようと思ったのです。それ以来、「森琴石記念誌」を出版すべく、文献、いろいろな人々、図書館や公共機関などありとあらゆる方法で調べて参りました。
3年ほど前、パソコンをわが家に初めて置いたのですが、その時は検索くらいしか出来ず、いろいろいじくり廻していたら「オールアバウト」の日本画のサイトで森琴石の名前が出てきて、私の知らない収蔵先があることを知りました。さっそくその美術館に問い合わせをし、現地訪問し作品を見せて頂きました。今度まとめている記念誌には、その際お世話になった学芸員の方も執筆者として参加いただいております。
琴石娘側のひ孫の家にはまとめて下絵画稿が残されていて、その数は極小から特大の作品まで2000近いもので、それらの作品のしわ伸ばしから始まり、分類整理して参りました。大事だと思うものから始めましたので、まだまだ整理し切れないでいます。
数が膨大なため、下絵、画稿、資料など記念誌に掲載し切れないものもあり、もったいないというか、せっかくのものが、という気持ちから出版に先立ち、多少でも琴石という人物や作品を見ていただけたら、との思いでホームページを作成しました。記念誌には取り上げられないものも含め、今後もお知らせしていこうと思っています。
幸いなことに、数人の学芸員の方が以前より琴石に興味を持ち、または大阪の画家として調査の必要性を感じられ資料や作品の収集をされておられました。琴石のことで美術館に問い合わせをしますと大概の方が、森琴石は明治では一番知りたかった画家だが作品は見たこともないし、どのような人生をたどったかも皆目知らされていない画家であり、ぜひ知りたいし興味がある、と言ってくださいます。
今年が森琴石生誕160年の節目になります。記念誌の出版は、次々と新出事実や資料が出てきているため、その対応に追われ延び延びになっておりますが、協力してくださる研究者の方々と始終連絡を取りながらがんばっております。
妻は琴石の風貌と小生の顔が似ていると言い、放ってはおけないのだと、夢中でがんばってくれているんですよ。(隆太さん 談)
※南画家:文人や武士など職業画家ではない画家のことを以前はこう呼んでいました。現在では日本南画院など美術団体名には「南画」の語は残っていますが、「南画家」という呼び方は一般的ではありません。