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上期BEST1小説『ミノタウロス』(2ページ目)

ガイドが選ぶ2007年上期(1月~6月)BEST1小説。残暑を吹き飛ばすクールな傑作『ミノタウロス』を紹介します!※2008年3月吉川英治文学新人賞受賞!!おめでとうございます。

石井 千湖

執筆者:石井 千湖

話題の本ガイド

多様な「読み」可能にする作家の「選択」

小説のストラテジー
講師を務めた早稲田大学の講義をもとに、小説のおもしろさはどこにあるのか語った1冊。ナボコフや笙野頼子などの作品が実例として挙げられている。
そして後半では、革命が起こり、父と兄が死に、家も奪われ、馬鹿にしていた“地主の息子”の鋳型さえ失ったヴァシリが描かれる。ギリシア神話のミノス王が半人半獣の怪物ミノタウロスを閉じ込めたのは地下の迷宮だったが、ヴァシリが解き放たれたのは、赤軍(ソヴィエト政権の軍隊)と白軍(反革命勢力)、強盗と化した民衆が入り乱れて暴虐の限りを尽くす混沌とした世界だ。

ヴァシリが食料を求めて行った駅で、赤軍の列車を見るシーンが鮮烈。鋼鉄で装甲された列車に積まれた武器、同じように鉄で装甲されたように見える兵士たちを見て人々は熱狂する。そこにあるのは、思わず跪きたくなる圧倒的な力だった。土地に代わって人間を支配したのは、長距離移動を可能にする乗り物と、そこに積まれた武器による暴力。その力を目の当たりにした後、ヴァシリは軍に見捨てられた飛行機マニアのドイツ人兵士・ウルリヒ、元農民で馬を操る達人のフェディコと一緒にタチャンカと呼ばれる機銃つきの馬車を手に入れ、どんな集団にも属さず何の目的もなく、ただ食べるために略奪と裏切りを繰り返しながら荒野を疾走する。

何者でもないから、何者にでもなれる自由を享受する日々。中でもウルリヒにまつわるエピソードがいい。彼が強奪した複葉機で楽しげに旋回する場面、野営の焚き火の前で飛行機の絵を描く場面、廃墟になった屋敷でピアノを弾く場面、略奪しに入ったドイツ人村で少女と恋に落ちる場面……。暴力と破壊と死の合間にあるからこそ、それらの場面はどれも忘れがたく美しいのだ。

だが、そんな生活は長くは続かず、ヴァシリたちは一直線に破滅へと向かう。その筋書き自体には、何の教訓もメッセージもこめられていない。佐藤亜紀はただ、どんな世界を書くかを選び、どんな情景を書くか選び、どんな人間を書くかを選び、どんな記述で書くかを選ぶ。画家が構図や色彩を選ぶように。全体から何を読み取るかは、読者に委ねられている。土地から武力へ神性が転換する時代を描いた小説としても読めるだろうし、荒野を疾走するならず者を描いたアウトロー小説としても読めるだろうし、ヴァシリとウルリヒというふたりのお坊ちゃんの憂鬱を描いた青春小説としても読める。多様な「読み」を可能にする「選択」の的確さが、本書を傑作たらしめているのだ。

<DATA>
タイトル:『ミノタウロス』
出版社:講談社
著者:佐藤亜紀
価格:1,785円(税込)

【関連リンク】
新大蟻食の生活と意見…作家・佐藤亜紀の公式サイト。著者リスト、日記など。夫である作家・佐藤哲也の日記「大蟻食の亭主の繰り言」も更新中。

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