■暴力が人間心理に与える影響を単純な図式に押し込めず、複雑性を容認することが、物語としての広がりとテンションを生む
本作は、けっして明るい物語と言えない。だが、先を読み進めさせるに十二分なテンションとパワーが、全編にみなぎっている。このテンションとパワーは、主人公の周辺に起こる出来事そのものからくるものではなく、その出来事に遭遇したときの主人公の心理からくる。
その心の逡巡をかくも読ませるものにしている要因は何なのだろうか。
私は、その要因は、著者が主人公の心理に接近する際に、虐待という暴力を受けた経験のある人間は、こうなる、という単純な図式に支配されていないからだと思う。
本編には、土の中から生還した主人公の状態を、精神科医がこう分析する。「恐怖が身体の一部になるほど侵食し、それにとらえられ、依存の状態にある」。
大人になり、この分析を聞かされる(あるいは思い起こした)主人公は、強烈な嫌悪感により常態をなくしてしまう。
学術的な見解として、この精神科医の分析が正当なものかどうかは別の問題として、たとえば、この分析にのみ立脚して主人公の心理描写を描き出すことを、著者は、自覚的に拒んでいるように思えるのだ。
確かに、本作の中で、主人公は、自身の被虐的な性向に苦しめられはする。時には、その究極として、死に引寄せられてもいく。だが、それと同時に、加虐的な衝動にも駆られる。そして、このような文言のつらなりだけでは到底あらわせられないような複雑な感情に飲み込まれていく。
このような「複雑さ」に対する積極的な容認が、本作の小説としてのテンションとパワーの源ではないだろうか。
著者が本作で描き出したように、現実世界においても、さまざまなものの裂け目から理のない暴力が噴出してきている。マスメディアでの報道では、えもすれば加害者側の背景にフォーカスされがちであるが、暴力には、当然のことだが、被害者がいる。同時代を描く書き手として、今後も、注目していきたい。
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