■他者を恃まず、一人で何かを乗り越える。その矜持が、人の胸を熱くする

 ハードボイルド系でなくても、物語の世界でヒーローと呼ばれる男たちの多くは、フィジカルな面で平均以上に強い。だが、その強さの本質は、フィジカルなもののみにあるのではないのと

 ご本家のマーロウは、敵地に一人で乗り込むとき、案内役である男に「ほんとうに一人でいいのか」と尋ねられてこう答える。

「ほんとなら、海兵隊を一個中隊ほど欲しいんだ。しかし、一人でやらないのなら、はじめからやらないよ」(『さらば愛しき人よ』より)

『さらば愛しき人よ』


 ごく普通に生きている人間が、命のやりとりをする修羅場に遭遇することは、めったにないだろうが、それぞれのフィールドにおいて、大切なものを賭けて闘わなければならない場面は、きっとあるはずだ。そんなとき、徒党を組まず、他者の権力を恃まず、一人であることを受け入れて、恐怖や諦念や躊躇や偏見や言い訳を超えて“敵”と対峙する--
 それこそが、まさに、矜持というものだろう。

 さて、日本の文芸界では、現在、どちらかというと、マッチョの匂いがしない男が流行りだ。しかし、この矜持を持った若きヒーローが登場すると、やはり、読む者の胸は熱くなる。
 そんなヒーローのひとり、石田衣良の大人気作『池袋ウエストゲートパーク』シリーズの主人公、ブクロのトラブルシューターこと真島誠は、友人を殺されて怯える少年にこう言う。

「おれだって、おまえと同じ負け犬だ。(中略)だけど、テル、おまえはまだ負け犬にもなっていない。闘ったことのないやつが負け犬になれるのか。おれといっしょにこいよ。一発やってみようぜ。勝てばおまえは負け犬じゃなくなるし、ダメなら正真正銘の負け犬に昇格できる」(池袋ウエストゲートパーク『電子の星』より)

『電子の星』


 このセリフには、ひとりひとりが背負ったものの意味や重さを無視して、人を安易に「勝ち組」「負け組」などと分類する世の風潮に対する強烈な批判が込められている。

 今夏、映画化される『フライ、ダディー、フライ』の「ザ・ゾンビーズシリーズ」(第一作『レヴォリューションNO.3』)に登場する、まさに強くて優しい、大きい高校生・朴舜臣は、“大切なもの”を取り戻すための闘いに挑む中年男にこう言う。

「勝つのは簡単だよ。問題は勝ちの向こう側にあるものだ」(『フライ、ダディー、フライ』

『フライ、ダディ、フライ』


男の、いや、人間の闘いの勝敗について、考えさせられる言葉である。
ちなみに、朴舜臣は、「ザ・ゾンビーズシリーズ」の最新作では、女子高校生に格闘指導をする。ファイティングポーズを取る彼女に向かって、こういう舜臣。

「どうした?怖いのか?一歩を踏み出せ。ボーダーを越えてこい」(『SPEED』


『SPEED』

 
 うーん、言われてみたいなぁ・・・もし、彼のような「男の中の男」にこう言われたら、生涯、「ここぞ」という時ごとに、この言葉が胸の中でファンファーレのように鳴り響くことだろう。

■「男らしさ」に不可欠なもの。それは・・・
 こうして、男らしいフレーズを集めていると、その多くが、かなり無理している、自然体じゃない、というか、ヤセ我慢が入っていると思いませんか?
 フェミニズムの大家ボーヴォワールは、『第二の性』で、「人は女に生まれてくるのではない。女になるのだ」と書いたが、全体の文脈を無視して、この文章のみを見ると、“女”を“男”に言い換えても、真実を衝いているように思える。
そう、“男”らしくあるためには、ぐっとお腹に力を入れて、やせ我慢をすることが時には必要なのかも。

 というわけで、最後に、浅田次郎作、大正・昭和初期を舞台に義賊たちが活躍する『天切り松闇がたり』シリーズから。清水の次郎長の子分・小政だと名乗った老侠客の思い出を語った後で、語り手の松は、こう言う。

「お天道さんに向かって、俺ァ男だと日に三べんも言ってみやがれ。そうすりゃ男はみんな、俺や小政のこの齢まで、背筋のしゃんと伸びた男でいられる」(シリーズ第二巻『残侠』より)

『残侠』


試してみる?

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