■同じ場所で同じ時間を共有しても、身体や心に刻み込まれる時間は、異なる。「共有幻想」を否定する著者の冷静な視線
後書きで著者は書いたように、それは、あのとき流れていた時間の「中身」が、それぞれの人でまったく異なるからだ。「同じ時間を共有した」というのは、あくまで、外側に流れていた時間であり、人が身体や心に刻み込まれる時間は、共有などできないのだ。たとえ、激しく求め合った相手ですら・・・
『ツ、イ、ラ、ク』がそうであったように、本作でも、著者の「性」を描く筆致は、執拗なまでに接眼的であり、熱と潤いを読む者に伝えてくる。しかし、その背後には、その熱や潤いとは裏腹な、「共有幻想」を否定する著者の冷徹な視線を感じる。この二面性、一種の「クセモノ」ぶりが、この著者の特徴であり、魅力ではないかと思う。
本作は『ツ、イ、ラ、ク』と対になる作品だが、続編だというわけではない。『ツ、イ、ラ、ク』を読んでいない方でも、そこに描かれた「醜聞」の内容を読み取れるような仕掛けになっているので、未読の方でも楽しむことはできるだろう。だが、やはり、本作を手に取ったら、ぜひとも『ツ、イ、ラ、ク』もあわせて読んでいただきたいと思う。本作がより楽しめること、請け合いだ。
収められた6編の中で、個人的に思いいれのある作品は、隼子と対極の場所にいた、かつての少女の心象風景を描いた『青痣(しみ)』。もっとも隼子と似ていないはずの彼女が、実は、もっとも彼女と近しい性的な昂ぶりを体験している。だが、彼女は、けっして、隼子にはなれない。彼女は、きわめて些細な欠点から、心と身体を昂ぶらせた相手を見限る。性的な感情の複雑さ、不可思議さ、そして、思春期独特の、一種の狭量さが見事に描き出されている。『世帯主がたばこを減らそうと考えた夜』の主人公である中年の教師(『ツ、イ、ラ、ク』では、完全に敵役だった)の屈折も心に深く響くものがある。
『ツ、イ、ラ、ク』のような長編作品のように怒涛のごとく身体ごと持っていかれるような魅力の代わりに、一作、一作、丁寧に読み込める連作集ならではの魅力に溢れた作品。しつこいようだが、ぜひ、ぜひ、『ツ、イ、ラ、ク』とご一緒に。
この本を買いたい!
本作、『ツ、イ、ラ、ク』は、湖のほとりにある小さな町が舞台。架空の町だけど、いかにもありそうな・・・。小説やエッセイの舞台を訪れる旅の情報は、「本をガイドに旅、散策」でチェック
◆直木賞は残念でしたが、私の中では、直木賞作家。姫野カオルコさん関連のサイトにはこんなものが
姫野カオルコさんの公式ページ『Kaoruko Himeno Official web Site』には、著作一覧、クローズアップ作品についてのご本人のコメント、写真なども。お美しいです!
ファンページ『ALL ABOUT KAORUKO HIMENO』には、本作および『ツ、イ、ラ、ク』の舞台になった町の地図なども。
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