『赤い長靴』
第「恋愛小説の女王」が描く「結婚」の不思議な風景。美しい怖い江國マジックをご堪能あれ


『赤い長靴』
・江國香織(著)
・価格:1420円(税込)

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■「言葉の通じ合わない人」と、それでも夫婦でいる。結婚の不思議な風景を描く怖~い作品
 
 以前にも書いたことがあると思うが、江國作品は、怖い。
「キャー」と叫び出してしまうような怖さではなく、しんしんと、しみじみ怖い。
 未知のものを突きつけられた怖さではない、知りすぎているけど、気づかなかった(あるいは気づかないようにしていた)ものを突きつけられるから、怖い。

 結婚して十年、子どものいない日和子と逍三の日常を描いた連作短編集である本作は、そんな江國作品の怖さが、かなり生々しい形で現出している作品だと思う。

 作品の中で、夫婦に格別大きな出来事が起こるわけでもない。夫の代わりに夫の実家に義母を見舞いにいく日和子(「東北新幹線」)、パート先である園芸店でもささやかな出来事(「マミーカー」)日和子が久しぶりに学生時代の友と会う朝の夫婦のやりとりなどなど(「買い食い」)など、二人の日常が淡々と描かれる。
 
 どのストーリーの中でも、二人の会話は、笑えてしまうほどにかみ合っていない。
 
 「先にビールにする?お風呂にする」と日和子が尋ねると、「うん」とうなずく逍三。
 バイト先や通っているテニススクールでの出来事を話すと、やはり「うん」とうなずく逍三。そして、「どう思う?」と聞くと、やっぱり「うん」とうなずく逍三。

 日和子は、逍三は、善人だと知っている。逍三は、日和子を社会から守ってくれようとするし(「ゴルフと遊園地」)、プレゼントだって買ってくれる(「箱」)。善人の逍三に、自分は大切にされているとも知っている

 だが、彼は、自分の言葉を聞いていないと思う。彼とは言葉が通じないと思う。彼と恋愛して、結婚をして、そのときの出来事をどうしても思い出せない自分をいぶかしく思う。

--あなたはここにいるのに、いないみたいよ。
--そんなのさびしいし、私、あなたといるとどんどんさびしくなっていく。さびしいのはやめたいの。
--私たち、二人でいると二人でいるとさびしくなるのよ。(「煙草草」)

 二人は、ともに暮らしながら、常に、違う世界を見ている。
 日和子にも、その「ほんとうのこと」に気づき、愕然とし、それを打破しようともがいた日々があった。

「テレビを消してほしいの」「ちゃんと返事をしてほしいの」「何か話してほしいの」「どうして不機嫌そうにしているの」・・・
毎日、そんなことを言っていた日々。

 だが、そんな日々は、日和子にとって「いまより百年も若かったころ」である。そして、今、日和子の心に降りてくるものは、諦念である。
一方、逍三の心にずっとあるものは、日和子に対する、軽い侮蔑である。だが、彼にとっては、日和子は、軽んじているからこそ愛とおしい存在なのだ。

■一見、「いい夫婦」。だけど、二人の間にあるのは、諦念、そして・・・

 この作品に登場する二人は、他人から見ると、けっこういい夫婦だろう。互いに対して、多くを要求することなく、ありのままに満足している、そう見えるだろう。ささやかだけど、充実した幸せを築き上げているように見えるだろう。

 だが、二人の間に流れる「ほんとう」の感情は、諦念であり、軽蔑であり、厭わしさである。

――うーん、わかりますなぁ~、この感じ。極めて私的な状況が関係してくるので、共感の根拠は、割愛するが、情熱的な思いとか、エクスキューズなしの愛情とか、全幅の信頼、尊敬とか、そういうだけで保たないんだよね、意外と、うん。
多くの既婚女性が、おそらく既婚男性も、そう思うのではないだろうか。

 結婚生活未経験の方や、結婚生活初心者の方にとっては、これだけでもかなり「怖い」作品であろうと思う。そう、結婚って、けっこう・・・

 だが、この作品の「怖さ」はそれだけではない。