■前作の衝撃のラストから十年後の物語。夏姫が、年下の男と恋に落ちる。この設定だけで・・・
語り手として、登場するのは、その語り口に十代の匂いをただ寄せる青年、慎一である。父と母が離婚し、理髪店を営む祖母の家で育てられている慎一。複雑な家庭環境には置かれているが、深刻さを忌み嫌い「イマドキ」の軽さをまとう彼にとって、祖母の母性的な愛情は、時に疎ましい。つまらないことで彼女と小さな諍いをする慎一だが、その後すぐに祖母が突然亡くなってしまう。後悔が入り混じった哀しみに呆然とする慎一。その哀しみに静かに寄り添う大人の女性がいた。
その名は、夏姫。
ああ、やっと登場しました。高校の教師をしていた(今は辞めている)夏姫にとって、慎一はかつての教え子。慎一は、アルバイトをしている喫茶店に客として訪れた夏姫と再会し、同世代の女性にはない深みのある魅力に、囚われてしまったのだ。その心と身体のすべてで、一途に自身を恋う年下の男の熱情に、戸惑いながら、恐れながら、それを受け入れてしまう夏姫。
(この段階では、まだ、彼女の戸惑いや恐れの原因をはっきりとは書かれていない。だが、『天使の卵』を読んだ者にとっては、もうこの設定だけで、胸がぎゅぅとなってしまうのではないだろうか。だって、自身をあんなに追い詰めた姉の「年下男との恋」に、自分も陥ろうとしているんだよ、夏姫。これは、苦しい、切ない、重いではないか。)
慎一は、やがて、夏姫の周辺に自分とは別の男の影を見出す。そして、その男が、夏姫の戸惑いや恐れの原因だと察し、彼が町々の壁に絵を書く仕事をしていることを突き止めて、対峙するのだった。その男の名は、歩太。
歩太は、慎一に対し、夏姫と自身の過去を語り、そして、ある決意を告げるのだった・・・
■翼のない人として癒せない傷を抱いて、「普通」に生き、「平凡」な恋をする。そのことの凄みが胸を打つ
この物語の設定は、前作の衝撃のラストから、十年後の設定になっている。歩太と夏姫が、その十年を、どう過ごしたかは直接的には触れられていない。だが、十年後の彼らは、働き、食べているのだ。そう簡単には癒せようもない傷を抱いて、それでも、人生の営みを繰り返しているのだ。翼を持たない人間として、生き続けているのだ。そして、恋をしているのだ。そのことだけで、私は、もう胸がいっぱいになってしまった。
それにしても、夏姫。あなたは、なんと強い女性だろう。普通、あんなことがあったら、歩太とは、縁を切るよ。でも、ずっと、彼のことを見捨てずに、心から心配し、力になろうとしているなんて・・・。そりゃあ、慎一の周辺にいる女友だちなんて、あなたと比べると著者が書くように、「紙みたいに薄く」映ってしまうのも無理ないよ・・・などと思いながら、すっかり、物語の世界に入り込んでしまった。そして、ラストまで一気に、登場人物の心情に寄り添えた。
これぞ、物語を読む、特に恋物語を読む醍醐味だろう。
この作品は、純粋に「男と女の恋物語」だ。それも、ありえないような恋物語ではない。対外的には極めて「普通」に生きている男と女の、どちらかと言えばありがちな、ある意味「平凡」な恋の物語だ。だが、この「普通」や「平凡」に、著者は、強烈な凄みを込めて描く。
何かの記事で、著者が「デビュー当時、『平凡であることが、この作家の信条だ』というようなことを言われたが、それをずっと大切にして、誇りに思っている」というようなことを言っていたのを読んだ記憶がある。この作品を読みながら、彼女の発言の真意に少しわかったような気がした。
本作だけでもお楽しみいただけると思うが、ぜひ、『天使の卵』もあわせてお読みいただきたい。そして、村山由佳という作家の、「平凡」の凄みに触れていただきたい。
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たかが恋、されど恋。恋愛小説は、永遠です!情報チェックは時代・歴史小説のページ」で。
◆『天使の卵』は、第6回(平成5年度)小説すばる新人賞を受賞作。同賞出身にはこんな作家が。ほかにも、今年の直木賞作家、熊谷達也さんも同賞受賞者です。◆
村山由佳さんとともに『ジャガーになった男』で第6回(平成5年度)受賞。『王妃の離婚』で直木賞を受賞した佐藤賢一さん。「ファンサイト・異端の英雄」は、作品解説が充実!
『粗忽拳銃』で第12回(平成11年度)に受賞した竹内真さん。「竹内真のホームページ」では、身辺雑記が楽しめます。
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