■俯瞰の視線であまれる「個人」と「世界」の間に横たわる物語

物語は、初期の春樹作品のファンにとっては、まだまだ違和感のある、三人称で語れる。しかも、語り手の視線は、物語の舞台、すなわち、深夜の都会を、上空からみつめ、対象に接近し、やがて再び上空へと戻っていく「鳥」あるいは「衛星」のものであるかのような設定が、明らかにされている。
その「神の視線」のもとで、浅井マリの、エリの、高橋の、理不尽な暴力の主体である白川の、それぞれの物語と、同時進行的に展開し、その物語のうち、いくつかは、現実世界の時間と別のところに流れ出ていく。だが、同時に、物語は、現実世界に流れる時間というものに、徹底的に縛られているのだ。
この両義的な「立ち位置」に、私は、村上春樹の「今」を感じる。

地下鉄サリン事件の加害者にインタビューした『アンダーグラウンド』で、村上春樹は、個人の懊悩や希望や、さまざまな記憶や、そういものすべてとまったく別のところで、別の動機で起こりえる悲劇というものに、彼なりの徹底した誠実さをもって相対した。
言葉足らずを承知で言うなら、そして、それ以後、個人の世界と外なる世界との間の、「折り合い」を模索しているように思える。
その「折り合い」の付け方を、彼は、物語として編むのだと思う。

■読後の世界が、人知れず、微妙に、変質する。この感覚こそ・・・

本作のラストで、物語には夜明けが訪れる。この夜がこの夜でなければ、違う形になったであろう夜明けがやってくる。だが、読み終えてあるものは、ひとつの話があるべきところに着地した、一種のカタルシスではない。そこにあるのは、何かが継続している感覚だ。余韻と名づけるには、もっと身体的に具体的な感覚だ。そう、読み終えて、眼をあげたとき、眼前に広がるいつもの景色のうちに、浅井エリやマリや、高橋の時間が、記憶が、まだ明確な形を取らないままに、漂っているような、そんな気がするのだ。

本を読み始めたときと読み終わったときに、誰にもわからないかもしれないけど、自身の世界が微妙に変質している――村上春樹は、私にとって、そういう作家であることを確信させてくれた本作。
登場人物の高橋が、今までの作品になく、教訓めいたことを多弁に語るのも、嬉しかった。村上春樹も、ちゃんと年を取っているんだなぁ~と思えて。
・・・はやく、言えば、「春樹」が少しでも感じられれば、なんでもいいのかも。ああ、やっぱり、ファンに、「解説」は無理ですな。

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◆外国の書き手の中に、村上春樹に影響を受けた「ハルキ・チルドレン」が台頭しているらしいですが、日本の書き手の中にも、明らかに・・・と思われる方がたくさんいます。個人的な観測ですが、この人も・・・◆

『MISSING』『』Alone Together』など、かなりハルキちっくな「低温系」のラブストーリーで人気、本多孝好。「本多孝好非公式ファンサイト」では、人気作品投票などが。

社会的現象となった、ご存知、片山恭一原作「セカチュウ」。この作品にも、ハルキの匂いが・・・。「世界の中心で、愛をさけぶ ファンサイト」

影響を受けた、というより、「挑戦している」阿部和重。特に『シンセミア』は、ポスト・春樹への意欲に満ちた作品。「阿部和重 非公認サイト」には、同作の話題もいっぱい。

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