『ミドルセックス』
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■両性具有の少女/少年の視点で語られるファミリー・サーガ。小説の原則を超えた冒険的な作品
『ヘビトンボの季節に自殺した五姉妹』で高い評価を受けたアメリカの作家の新作。『ヘビトンボ・・・』は、「僕ら」と自分を呼んでいる一人称複数の語り手など、さまざまな意味で掟やぶり、「ほかのどの作品にも似ていない」小説であったが、この新作も、かなり冒険的なものである。
主人公は、女の子として育ち、男として大人になった両性具有の少女/少年・カリオペ(男性となってからの名はカリ)。思春期に入った彼女の、自らの肉体の変化に対して感じる漠然とした不安、同性の親友への思いなどが切実に語られている。だが、この小説は、けっして、ジェンダーの揺らぎだけがテーマではない。
主人公にして語り手のカリオペは、ギリシャ系移民の子としてアメリカで育つ、いわば、現代のティーンエイジャーである。だが、この語り手は、なんと、自分の「遺伝子」が発芽した時代にさかのぼって、家族の物語を、見てきたように、リアルに語るのである。したがって、物語は、1920年代、彼女の祖母の物語から始まる。
ギリシャとトルコの国境で、少女デスデモーナは、弟レフティーとともに暮らしている。二人は、姉弟でありながら深く愛し合い、トルコとの戦争の混乱のさなかに、「夫婦」として結ばれてアメリカへと渡るのだ。やがてデスデモーナは、レフティーの子を妊娠する。近親相姦が引き起こす悲劇の予感におびえるデスデモーナだったが、彼女の不安は的中せず、ごく普通の男の子が生まれる。その子は、やがてデスデモーナの従兄弟が生んだ少女と愛しあうようになり、二人の間に生まれた二人目の子、それが、語り手・カリオペなのである。
そう、この物語は、ギリシャ系移民一家の壮大な叙事詩でもあるのだ。この叙事詩を、一人の現代の少女が、「神の視点」で語るのである。言うまでもないことだが、通常の小説の手口としては、「反則」だ。率直に言うと、読み始めは、多少の不自然さを感じる。だが、不思議なことに、読み進むうち、その不自然さが、この小説の最大の魅力に変わるのである。この物語には、この語り手しかない、と思えてくるのだ。
その理由は・・・。