『繋がれた明日』真保裕一 朝日新聞社 1700円
■「被害者」と「加害者」を隔てるものとは?償いとは?「罪と罰」の本質に迫る『繋がれた明日』
一方、『繋がれた明日』の主人公は、「加害者」本人である。
19歳の中道隆太は、恋人につきまとう卑劣な男とケンカになり、あげく、万一のために持っていたナイフで相手を刺殺してしまう。言い渡された判決は、短期5年以上長期7年以下の懲役。殴りかかってきたのも、迷惑をかけたのも相手。自分だけが悪いのではない――その思いを捨てられない隆太。
そして、6年。刑期終了を一年後に控え、仮釈放となった隆太を待ち受けていたのは、悪意に満ちた中傷ビラだった。
いったい、誰が? かつての悪友たちか?被害者の周辺の人間か?家族か?
たとえ、その事情がどうであれ、犯罪を犯した者は、その家族も含め、一生、明日の見えない絶望にうめきながら生きなければいけないのか――揺れる思いで「犯人」を探し始めた隆太が知った事実とは?
彼にとっての、「償い」とは?「更正」とは?
『手紙』の主人公は、いわば「犯罪」に巻き込まれたわけだが、この主人公は、「犯罪」の当事者である。
先日、前述した大臣が、「どちらが被害者か加害者かわからない」と失言を繰り返したが、彼の真意はどうであれ、被害者と加害者を隔てている「何か」が絶対的でもないということは、言えるのではないか。
本作は、多くの人が眼をつぶろうとする事実に、あえて踏み込んでいく。この著者の魅力の一つは、この剛直さであろう。後半、少し書き急ぎの感もあったが、歯切れの良さも魅力だろう。
こうして、2作を読むと、一見、テーマがかぶっているようでありながら、実は、二人の作家の視線の方向にはかなりの差異があることがわかる。
テーマが似通っているせいで、二作とも賞を逃がした(そうではないと思うが)だとしたら、かなり残念である。
だが、真保裕一氏も、東野圭吾氏も、賞など取らなくても、良質で、しかも一作一作、異なったテーマ、テイストの作品を数多く世に送り出していることには間違いない。いい意味での「大衆的作家」、一流のプロ作家と言えるだろう。
まったくの余談であるが、直木賞発表の当日、某映画の製作発表記者会見が行われ、その壇上に藤木直人、仲間由紀恵と座る原作者、東野圭吾氏の姿をお見受けした。
作家の方が賞の発表を今か今かと電話の前で待っている、という図は、元・文学少女の幻想かもしれないと感じた次第である。
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