心豊かな落語界の住人
「志ん朝の落語 6 」(文庫) の中で演芸評論家・京須偕充氏が「雛鍔(ひなつば)」をさらに詳しく解説しています |
落語は聴くほうの感覚も大切
逆に「大の大人がそんなことに憧れて情けない」、「お金に聡い子供の方が賢いよ」と、そんな感覚でしかこの噺を聴くことができないのなら、正直、落語を楽しむことができないと思います。この『雛鍔(ひなつば)』では、日本人は古来より、目に見える「物」でなく、文化や品などの「質」に敏感でそれを敬う気持ちが高いのだということを確認させてくれます。もし、熊さんやご隠居が現代人のように身分やお金持ちだということに憧れていたら、この噺はただの貧乏人のひがみ話になってしまいます。
二人が文化や品などの「質」に憧れることに好感がもてればこそ、最後のサゲ(子供がお金の欲に目がくらむ)がイヤミなく笑えるのです。ちょっと大げさですが、この噺を気持ちよく聴け、イヤミなく笑える感覚があるかどうかが、落語を楽しめるかどうかの重要な分岐点になると私は考えます。
そんな素敵な感覚を我々現代人も「日本人」としてDNAに受け継いでいるのではないでしょうか? その感覚をフル回転させれば、もっともっと落語を楽しめるはずです。
ぜひ、この古今亭志ん朝による『雛鍔』を、心素直に「日本人」の感覚で聴いてみてください。きっと心豊かになり落語にハマるきっかけとなるはずですから。