ロック・ポップス/ロック関連情報

逆境を乗り越えてきたデフ・レパード

ホワイトスネイクとともに来日が決まったデフ・レパード。何度も不幸に襲われながら活動を継続してきたバンドの歴史、そして最新作の情報を。

執筆者:田澤 仁

デフ・レパードがデビューしてからすでに30年近くが経過した。80年代には世界的大ヒットを連発した彼らだが、その裏には数々の不運を乗り越えてきた歴史がある。今回は彼らの足跡を改めて振り返ってみる。

苦境を乗り越えて大ヒットを連発した80年代


今回ともに来日するホワイトスネイクとデフ・レパードは、80年代の中頃に大ヒットを飛ばしたハードロックバンド。80年代中頃といえば、アメリカから巻き起こったLAメタルムーブメントの真っただ中。だからどちらもLAメタルのバンドというイメージを持つ人も少なくないようだが、ホワイトスネイクはディープ・パープルのOB会のようなメンバーで始まったわけだし、デフ・レパードはイギリスシェフィールド出身。どちらもイギリス発のバンドなのだ。とくにデフ・レパードは、LAメタルより少し前、70年代終盤にイギリスから起こった“NWOBHM”(ニュー・ウェーヴ・オブ・ブリティッシュ・へヴィ・メタル)のムーブメントの代表格とも言われている。

とはいえ、ホワイトスネイクは後の度重なるメンバーチェンジで、いわゆる“LAメタル人脈”のメンバーが出入りしているし、デフ・レパードがデビュー当時からアメリカの市場をにらんで作品作りをしていたことも事実。それに”NWOBHM”はその時期にイギリスからハードロック/へヴィメタルの新興勢力が次々に出現してきたことを示す言葉で、サウンドなどを定義するものではないから、“LAメタル”か“NWOBHM”かで色分けするのはさほど重要なことではないかもしれない。

1980年にデビューしたデフ・レパードだが、最初から順調だったわけではない。最初の2枚のアルバムの出来は悪くなかったし、本国イギリスではヘッドライナーでツアー、ヨーロッパやアメリカではレインボーやオジー・オズボーンといったビッグネームとともにツアーを行うなど知名度も低くはなかったはずだが、セールスは伸びなかった。それに加え、度重なる不運がバンドを襲うことになる。

最初の不運は3枚目のアルバムの制作にとりかかる頃、ギタリストのピート・ウィリスがアルコール依存に陥り、解雇されてしまったことだった。作品は売れない上にメンバー解雇というショックな事件が起きてしまってはやる気もそがれてしまう。普通ならここで暗雲たちこめてしまうハズなのだが、彼らは元ガールのフィル・コリンを加入させてアルバム制作を続行した。これが吉と出たのだからすごい。

『Pyromania(炎のターゲット)』
デフ・レパードの出世作『Pyromania』
制作中にメンバー交代があったことや、プロデューサーのマット・ラングが新たなスタイルを導入したことで制作期間が何か月も延長されたが、完成した『Pyromania(炎のターゲット)』の出来は素晴らしいものだった。リズムマシンや何度も重ねた分厚いコーラスを導入しようとしたマット・ラングに、メンバーは当初猛反発したという。しかし緻密に作り込まれたサウンドは重厚かつポップで聴きやすく、へヴィメタルファン以外にも受け入れられた。第一の逆境を乗り越えて完成したこのアルバムは、全世界で1000万枚以上を売り上げるというビッグヒットになった。
  • 1
  • 2
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます