監督の母への想い
昨年10月釜山国際映画祭での一枚。日焼けして、皆とてもワイルド。撮影中のテンションが伝わってくる |
「私の母は苦労しながら私を育ててくれました。でも、この映画の撮影中に亡くなったのです。初めての監督作品を母親に見せることができなかったのがとてもつらかった。その気持ちを映画の中に込めました。『今、自分が守らなければならない人がいるのに、愛すべき人がいるのに、時が過ぎるまで気づかない。どうして一緒にいてあげられなかったのか、あの人のために人生を賭けてあげられなかったのか』と。気づいたときにはもう遅く、後悔ばかりが残るのです。劇中のチャン・ドヨンも母親のそばにいるべきだったのに、選択の過程で間違ったカードを選んでしまう。そして上司や友人が良い忠告をしてくれたにもかかわらず自分の欲望だけで生きてしまう。病院や葬式のシーンは実際に私の母が使っていた場所で、チャン・ドヨンの行動は私自身の姿でもあります」
監督もクォン・サンウ同様、母親に女手一つで育てられてきました。助監督としての下積み時代が長い映画の世界に息子が飛び込むことを、母親は最初反対していたといいます。
「韓国では助監督生活はとてもつらいものです。経済的に苦しくて、何もしてあげられなかった。本当は母親のことをもっと気遣うべきだったのに、好きなことをやりたいと夢中で。今になってひどく後悔しています。映画の中でチャン・ドヨンが「一日だけ幸せになりたい」というシーンがあります。私が10年間思い続けてきた言葉でした。もう少ししたら監督になれる夢が叶う、もう少ししたら母親にも恩返しができる…と。しかし、その夢が叶ったときには、母親を失っていました」
愛、そして怒り
―チャン・ドヨンには監督の母親への愛、オ・ジヌには監督の社会に対する怒りを込めたというわけですね。「その通りです。チャン・ドヨンには家族や愛に関すること、守らなければならない価値、そしてアクションなどの劇的なオモシロさを込めました。一方のオ・ジヌには社会のあり方に対する怒りを表しました。2人は私の分身なのです」
クォン・サンウの恋愛観は…次ページで!>>