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今振り返る 「川口浩探検隊」の功績(2ページ目)

1978年から86年までの約10年間、少年達を釘付けにした伝説の番組「川口浩探検隊」。今回は、その川口浩探検隊の功績を振り返りつつ、私達が失ったものについて考えたいと思います。

広川 峯啓

執筆者:広川 峯啓

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隠れた名曲に隠された真実

川口浩探検隊は、アマゾンでの底なし沼によく落ちたものです
「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」という曲をご存知の方は多いと思います。「川口浩探検シリーズ」が大人気を博していた1984年に、「替え歌メドレー」で知られる嘉門達夫がリリースし、大ヒットしたコミックソングです。「探検隊に襲い掛かってくるサソリが、全然動かない」とか「大発見をしても決して学会に発表しない奥ゆかしさ」など、謎を追っている筈の探検隊自体が持つ謎をテーマに、大爆笑を生み出したのでした。

こうしたコミックソングに限らず、タイトルや歌詞に固有名詞が入っている場合、前もって何らかの許可をもらった上でリリースするのが現在の常識です。しかし、20年以上前にリリースされたこの曲、実は川口浩本人の許可を取らずに発表したようです。

というのも、リリースから数日後に、偶然、大阪の生ワイドショーに出演した川口浩のもとへ、嘉門達夫が突然乱入(もちろんスタッフの許可は取った上で)。レコードに名前を使わせてもらったことの許可を願い出たのでした。生放送ということもあって、むげに断ることもできず、川口浩は苦笑まじりにOKを出したのでした。著作権や肖像権が発達した今だったら、とても考えられない一件ですが、まだまだ世の中がのんびりしていたという好例かもしれません。


人気絶頂の中、ガンに侵された隊長

ガンの病魔に侵され倒れた川口隊長(右)。少年達は無事生還を祈ったのですが……
探検隊をネタにしたコミックソングが流行ったことで、本家の人気が下がったかといえば逆に注目度が上がり、多くの人の知るところとなったのです。探検の一部始終は、毎回90分にまとめられ紹介されてきましたが、後期には2週に渡ってその全貌を明らかにしていきました。

この人気シリーズが86年に終止符を打ったのは、視聴率の低下や企画のマンネリなどではなく、隊長である川口浩がガンに侵されたことが原因です。妻・野添ひとみをはじめ家族の献身的な看護を受けて、療養に専念したものの、翌87年11月に食道ガンでこの世を去りました。享年51という若さでした。

その遺志を継いだ、藤岡弘、二代目隊長の活躍は皆さんご存知の通り。前シリーズを忠実なまでに踏襲し、21世紀の番組とは思えない昭和の輝きを、ブラウン管から発していました。

そう。たとえ液晶テレビであっても、プラズマテレビであっても、探検隊が未知の洞窟へと潜入するしている時には、テレビは皆ブラウン管になり、リビングもお茶の間へと変貌するのです。探検隊の活躍を見て、素直にハラハラ、ドキドキできなくなった私達は、ひょっとして、何か大事なものを昭和の時代に忘れてきたのかもしれません。



<関連リンク>
水曜スペシャル「川口浩 探検シリーズ」 川口浩探検隊~野性の脅威・猛獣編
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